社会のレールから外れた人を悪く言う風潮がまだまだあるように思える。引きこもりってのもその一つの気がする。
引きこもりが悪かどうかの議論はここではさておき、引きこもりに誰しもがなる可能性があると思わないと先ずは話にならない。
引きこもりになる経緯は多くは以下の順番だろう。
・学校、会社で多いなる挫折を味わう
↓
・もう再起出来ないと塞ぎ込む
↓
・引きこもりが出来る環境にある(親が健在)
↓
・社会から断絶して引きこもる
要するに引きこもれる環境が整っていたら出来るという訳だ。引きこもりは男が多いらしい。彼らとて引きこもりたくて引きこもっている訳じゃない。
よく親が激を飛ばしてプレッシャーを与えて社会に戻そうとするのをTVとかで見るがそれで戻れるのはほんの僅かだと思う。本人はもう無理だと思い込んでいるから。
それを言って暴力を振るうならもう言わない方がいいし効果は期待出来ないと思う。
だって家で何の重圧も受けずにテレビやアニメやゲームに身を投じてられるならそれが1番いいやん。何を好き好んで会社で怒られたり人間関係で悩まなあかんねんって。
だけど、引きこもりになる人とならない人の違いは何だろ。僕は一つは引きこもり出来る環境であるか否かが多いに関係あると思う。
僕ん家は親父がやや訳ありでとてもじゃないが安心して引きこもれる環境に無かった。僕が引きこもったらそれこそ死活問題である。
だからやらざるを得なかった。死活問題ともなれば会社で重圧に耐えながら挫折を味わいながらもなんとか引きこもりに逃げずに済んだ。これが趣味の世界とかならとっくに続いてない。
僕の社会への適応力が高かった訳ではない。たまたま家庭がそんなんだったから頑張るしか選択肢は無かっただけである。たまたま運が良く勤め人として通用しただけだ。
そう考えると引きこもれる環境に無けりゃ人は頑張るんだろうか。僕はたまたま運が良かったというこの発想を大事にしたい。そして社会も何が何でも引きこもりは悪と思わないで社会復帰を静かに願っていて欲しいのです。