〇世の中の全ては入っては出て行く一つの大きなフロー(流れ)深追いしない
よく聞く言葉で結婚出来たらとか子供が出来たらとかお金持ちになったらとか仮定を条件にした幸せの形を追い求める人が居ます。
でもそれってホンマなんでしょうか?なんでそれが必要かわからないけどなんとなくないと幸せになれないかもというイメージ。
美空ひばりさんの歌に川の流れのようにという歌がありますが人生ってホンマそうじゃないかなと思います。
自分を川に例えてみるとある時は静かな流れだったりある時は激しく激流だったり。一つとしてとどまる事がないです。
またその川に流れてくるものも一つとして同じものではないです。木の破片、またはゴミ、何処かから来た魚。とどまる事がなく流れては消えていくもの。
〇執着は実は自分を苦しめる装置。執着から解き放たれるために
僕たちを取り巻いている全ての出来事や人の流れや金の流れ、人間関係も全ては一つのフローであり一つとしてとどまる事がありません。
例えばもう学校卒業して社会人になったけどまだ小学校の時一緒だった友達と毎日のように会って遊んでいる人ってほとんど居ないと思います。
理由は色々考えられます。小学校の時の自分の価値観と今は全く違うしその頃の価値観で好きだった友達と今欲しい友達は全然違うしもうそれは一言で言うとあの頃の自分はもう居ないという事です。
結婚したらとかお金持ちになったらとか形あるものを追い求めてもいつかは崩れるかも知れないものだという認識がないと幸せにはなれないです。
相手から離婚を突きつけられるかも知れない。会社が倒産するかも知れない。かも知れないを想定出来ない幸せはいつか崩れるしいつまでもあると認識してるのはそれこそ傲慢かも知れません。
いつまでも小学校の時の友達と一緒に居たいと執着したりいつか無くなるものに執着する心そのものが実は自分たちを苦しめる根源なんです
実際に僕も失ったものも沢山います。縁を切ってもう二度と会えない友達もいるしツイッターのフォロワーさんとも切れて連絡出来ない人もいます。いずれも前はあったものですが今はありません。
今ある全てもいつかは壊れるし元に戻らないものも沢山出るでしょう。オフ会等で知り合った人の中でもいずれ会えなくなる人も出るかも知れないです。
しかしそれも一つの川の流れのようなモノです。とどまるものは何一つ有りません。結婚もお金持ちも一つの形です。とどまる事なく流れていずれ形を変えて消えていくモノです。
川は流れるから清流が保たれるのです。流れない川はいずれ濁っていきます。執着から解き放たれて幸せなイマを過ごせるように今を一生懸命に生きるのです。