ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

愛情に高いも低いもない!?これが僕の結婚観

○いい意味で愛情が平等な僕。それを理解出来る察しの良い人が好き

 

今日はあまり語る事が無かった僕の結婚観について語ろうと思う。僕は未婚である。これまでの人生で一緒になってもいいかと思った人が居なかったと言えば嘘になる。

 

だけどいい意味でか悪い意味でか僕は結婚に対してそこまでの特別な感情がある訳でもない。何がなんでも結婚しなきゃ幸せになれないとか思わないしいい年して結婚してない人が人として何か問題あるとは思わない。

 

結婚とかって一つの状態です。ウチの叔父さんなんかは女性と籍を入れてないけど一緒に生活してたりするけどこれも一つの状態である。結婚したら負けとか勝ちとか無いです。

 

多分僕が思うに結婚した事でマウントを取りたいおじさんおばさん連中が居たんでしょうな。お金持ちになって貧乏な人を見下す連中もこれに当たります。その人らの意見が採用されてなんとなくそっち側の方が正義に見えるようになってしまった。

 

閑話休題。これは思い切ってカミングアウトする。僕は誰かの事をそれこれ世界中の誰よりも愛情深く注ぎ込むなんて約束は出来ないのだ。瞬間的にそれこれ付き合っている間だけなら大丈夫だと思う。

 

だけど一つ約束出来るなら僕の愛情は平等なので他の人を見下したり誰々と比べたりはしないと思う。多分。そして急に冷たくなったり温度差を感じさせるような愛情の高低差は作らないはずだ。

 

愛情を一定に保てなかったり誰かを好き過ぎるあまりに誰か以外は見下したりするというのはメンヘラ気質があるのだと思う。僕にはそれが無い。だからジェットコースターみたいに揺さぶりをかけて相手の事をドキドキさせたりする事は向いてない。僕は多分恋愛より見合いの方が向いてるようだ。

 

○1人の人と一緒になる事態が愛情の証。だけど確認したくなるのはわかるけど…

 

僕は余計な小細工が苦手である。だから好きならストレートにわかる形で表現したいし相手の方にも余計な小細工をしてもらいたくない。

 

それと同時に僕は好きな誰かと一緒にいる以外の時間とか仲間たちの交流も大事にしたい。好きな誰かといる時間の方が趣味に没頭したり仲間たちと交流してる時間より上とかは一切ない

 

そう。簡単に言うと僕は愛情の一点集中をしないのです。色んなところに興味の分散をしてるし一日中好きな人の事を考えるような相手に負担をかけるような愛情は持っていない。

 

だからといって愛情がないわけじゃない。仲間たちといる時間も同じくらい好きだし趣味に向かう時間も同じくらい好きだ。何がなんでも好きな人と一日中ベタベタしなきゃいけないというのはエゴである。

 

結婚というのは相手をある種の束縛してるように思えるが考えてもみたら1人の人と一緒に住もうとする事態が愛情の証だしそれ以上の表現はない。

 

だけど不安になって自分以外のところで時間を割いているのが許せない(仕事、趣味、仲間との交流)というのは愛情が薄れたからではない。愛情の高低差が特にないから同じように好きなだけである。

 

それは結婚して一緒になる誰かのためです。一日中その人のためにずっと向き合い続けていたら話すこともなくなり飽きがきて愛情を保てることに自信がなくなる気がするのです。

 

そうやって落差を作りたくないためにいつまでも新鮮な愛情を持って居られるために僕は相手と一緒にいる時間以外の時間も楽しみたいのである。