ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

ゲームやっても漫画見ても熱中出来ない僕は作る側に回りたいんだと思う

僕ってブログを2年も切らさずやってるからさぞかし粘り強い凝り性かと思われてるかも知れない。だが実態はちょっと違う。実はかなり飽き性で色んなことを取っ替えひっかえしてる。

 

競馬、パチンコ、クレーンゲーム、深夜アニメ、ニコニコ動画とか色んなことに手を出しては3〜4年くらいで次のことに手を出している。学校を卒業するノリである。おかげでどんな話題にもある程度は精通できてるみたいだが。

 

なんで僕はすぐにやめるんだろう。駅メモ!もダウンロードしたし5年くらい続いているがほとんど熱中したことがない。いやこの言い方は語弊があるが楽しくないわけではない。

 

ただ、地主の札を取ってやろうとかランキング上位になってやろうみたいな野心が全くない。かといってそういうプレイで楽しんでる人を否定してるわけではない。

 

そりゃソシャゲを開発してるスタッフは商売でやってるし全て計算づくなわけである。どうやってプレーヤーを夢中にさせるかについて日夜考えてるわけである。僕らがのめり込んでしまうのは必然である。

 

なのにどこか醒めている自分がいる。辞めはしないが熱中もしていない。理由がわかったんだわ。僕って今まで熱中してたのって何かを生み出す側に回っていた時だって気づいたわけ。

 

僕は極端な話、駅メモ!をやる側ではなくて駅メモ!を作る側なら熱中できる。そんな技術ないから出来ないけど。漫画もそう。見る側としてはあまり熱中出来ないけど昔、漫画描いてたから作る側なら楽しいのである。

 

人が作ったり考えたものをただ消費者の1人として見たり遊んだりするのより0から1を生み出すのが好きだしそういうタイプの人間なんだろうなと思った。ゲームとかを芯から楽しめないのはどうやらそうらしい。

 

昔、凄い貧乏だったのね。だからおもちゃも最新のは買えなくて何体かのキンケシ(一世を風靡したキン肉マンの消しゴム)とショボいリングを活用して自分の頭でシナリオを考えて1人で遊ぶってのを小学生低学年の時に延々と何時間もやっていたこともある。

 

お金がないから自分で遊びをクリエイトしていた。それが当たり前だったしそれでも熱中出来ていた。その経験が今にも生きてるのかも知れない。要するに僕は何かをクリエイトする側に回っていたら熱中出来るのである。