ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

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スシロー迷惑行為に感じる自分が世の中を動かしたかもと思う錯覚

今更ながら例のスシロー迷惑行為について僕の感じることを書いてみる。こういう時事ネタは時間が経つにつれて読まれなくなるので出来るだけ普遍的なことを交えて書けたらと思う。

 

あんまり文章に起こしたくもないし書いてる時点で気持ち悪くていやだけど。スシローに来た客が湯呑みだか店にあるモノに口をつけたりしてまた元の位置に戻したりした迷惑行為が話題になっている。

 

しかもその様を撮影してたのである。それがTwitterで拡散して炎上という今までのバカッターと同じ流れを汲む騒動である。この犯人にたいしてあーだこーだいう気もないからそれには言及するのは控えておきたい。

 

今回言いたいのはそういう行為をする心理状態というかその行為が生まれる背景についてである。

 

正直なところこういう迷惑なヤツはSNSが出来る前からずっと世の中に一定数いた。僕が小学生とか中学生の時からも同じくらいの年齢の子が線路に石を置いて脱線させようとする子とかもいた。実際に同級生にもそんなのがいた。

 

大人に見つかって未遂に終わるのが大半である。ちなみにその同級生も未遂で注意されて済んだみたいだが。彼らは何故そんな行為に及ぶのか。

 

多分だけどそうやってもし仮に電車が脱線したり脱線未遂になってニュースや報道になったら何か自分が世の中を大きく動かしたような錯覚に陥るんじゃないだろうか。ニュースになって話題になればなるほどあれはオレがやったんだという。

 

ちっぽけな何者でもないどこにもいるような自分がなんかで世の中に目立つ事をしたい。騒がれてみたいとかそんな願望が信じられないあーいう百鬼夜行な発想になって現れていたのではないだろうか。

 

退屈で暇だしなんかやりたい。だけど目立つための能力も頭も知恵もない。そんな子が安易に思いついたどうしようもない行為があーいうのだと僕は思う。

 

周囲に叩かれたり非難されるリスクなんて行為をしてる間は微塵も感じてないんだと思う。ただそういう行為をして周囲がざわざわしてたり世間が話題に出してくれるので自分に注目が集まることへの快楽しかない。

 

それがひいては世の中を自分が動かしているとか自分の存在をアピール出来たという勘違いに繋がるんじゃないだろうか。普通は自分は何者でもないとわかったらなんとか世の中と折り合いをつけて能力に応じた立ち振る舞いをするものである。

 

能力がない子が目立つ手段として考えたアイデアがあれかと思うと軽く目眩がする。そして哀れで哀しみすら感じる。