ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

自分の思いを伝えるのをあきらめてはいけない

コミュ力だなんだとガタガタとうるさい昨今の日本であります。だいたいコミュ力の定義が人それぞれすぎてイマイチこれというのが定まっていないのもいいことに自分はコミュ力があるとマウント取ったりコミュ障だから許してねとか免罪符のように取ってつけるのもよく見かける。

 

まあそれはそれで仕方ないと思う。便利な言葉なんで都合の良い解釈をみんなでするのが良いのかも知れない。んで僕はコミュ力はなんかベラベラと話が立板に水のように喋れることじゃないと思う。かと言ってこれがコミュ力ってのもパッとは思い浮かばない。

 

1つ言えるのが自分が今何を考えていて何を伝えようとしてるのかをどのように表現するかについてあきらめずに逃げずにやり続けることではないだろうか。

 

自分の思いを伝える表現はなんでもいい。小説でもブログでも歌詞でも。特に芯を食った発言をする時は勇気がいる。

 

実はあの人のことは好きだけど変な癖があってそれだけは許せないとか今まで我慢してたけど実は会社のこの業務はやりたくなかったとか生きてると言いたくないけど言わなきゃいけないことが腐るほど出てくる。

 

んでそんな自分の気持ちに蓋をして自分が我慢するか相手に悟られないようにやり過ごすかそんなことばっかりしていたら身体にも精神にも良くない。真のコミュ力は言いたくないことでもきちんと伝える力ではないだろうか。

 

それはツイッターで吠え面かくんじゃなくてきちんと対面で向き合って話さないといけない。そんな便利なツールに頼っているようではコミュ力はいつまでも身につかない。

 

世の中は言いたくないけど言わなきゃいけない局面の連続である。自分も言われたくないこと言われるしお互い様である。自分のことはあまり見えないが他人からはよく自分のことが見える。

 

ホンマはこんな風に振る舞ったらもっと印象良く見えるのになとか自分からは見えないけど他人はよく見えてるのである。そんな客観的な声にたまには耳を傾けてみたらもっと自分を変えられるかも知れない。

 

というわけで今回は自分の思いを伝えるということについてでした。