ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

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疲労度も個人の責任も大きい今の新自由主義について

一昔前の日本の歴史は支配からの闘争の歴史だった。とにかく個人というものが小さくて儚い存在で抑圧され続けてきたのだ。親とか教師とか国とか政府とか強大な力を持っていて支配力をおさめていたのが昭和である。

 

なので脳死で何も考えずにただ言われたことだけやるようなタイプの人からすれば昭和という時代は合っていたのかも知れない。そのかわり彼らは時に理不尽だ。彼らというのは上から押さえつけるそんな権力を持った彼らだ。自由は制限され押さえつけられる。

 

尾崎豊の歌詞がわからない世代というのも今の世代の特色らしい。校舎の窓ガラス割ったり盗んだバイクで走ったり。この支配からの卒業というのも前時代すぎて理解されないが昔はめちゃくちゃ理不尽だったのだ。そして力の強いものに支配されていた。

 

その支配していた側は親だったり教師だったり大人だったりする。とにかく上に立つ彼らに支配されて自分たちの主張も時にかき消されて反抗するしか若者たちは手立てがなかったのだ。この時代は常に敵は外部にあった。

 

外国との戦争、政府との戦い、理不尽な親や教師との戦い。今のように個人が認められた時代じゃない故に外部との闘争で個人を認めさせるしかなかった。

 

そこから時を経て今は新自由主義に移行している。ルールもやり方も全く変わってしまっている。まずは自己責任が前提となっている。上から支配するようなやり方はしませんよと。そのかわり何があっても自己責任ですからねというのがこの社会の掟である。

 

政府や上からの介入が極めて少ない体制である。だから自由競争が進むし価格の安いモノを売っても自由だ。ユニクロの台頭も新自由主義を象徴している。

 

もとより力のある能力の高い人からしたらこの社会というのは生きやすいのかも知れない。上から押さえつけられたり支配されることもない。思う存分能力を発揮して儲けることも自由だ。全てにおいて自己責任である。

 

それは恋愛にたいしてもそうだ。恋愛ひいては結婚についても政府や親は介入しない。昔のように親が決めた結婚相手と年頃になったら結婚しなきゃならないなんて縛りはない。全くの自由だ。

 

そう。僕たちはある時から自分の人生のハンドル操作も全部委ねられたのだ。ただ、それは喜ばしいことである。誰かに支配されて選択権のない人生なんてそりゃ息苦しい。

 

とはいえ疲労度もめちゃくちゃ高いのだ。なにしろ自分で焚き付けて戦いを挑まないといけないのだ。誰かが強制するでもない。だけど戦わないと異性も潤沢な生活も得られない。それがわかってるだけに頑張りすぎてしまう。

 

そして自分で情報を掴まねばいけないし誰も何もしてくれないのが拍車をかける。補助金の制度だったり会社を定年退職する際に会社に言わないともらえるお金が違ってくるモノもあったりする。

 

そもそも競争が苦手だったり要領よくない人もいる。だけどその事に気づかず搾取される側に回って疲弊してしまっている。仕事においても恋愛においても。誰も何も教えてくれないし苦しんだまんまで振り返る暇もなくてただただ搾取され続けている。

 

新自由主義はいい面もあるが冷たくて悪くいえば突き放された放任主義である。格差が広がるのは当たり前で個人個人で自分を焚き付けて成果を出すしかない。会社も親も政府も神様も何もしてくれない。

 

なにしろメンタルケアも自分でなんか見つけて勝手にしなきゃいけない。だから燃え尽きる人は鬱病になる。SNSで異様なまでの鬱病もしくは鬱病一歩手前の人が多いのも頷ける。