はっきりと言おう。日本はもうかなり限界が来てる。ミスチルが1996年に深海というアルバムの中で駄目な日本の情勢を社会派は問うと言っていた。この頃から駄目な日本であった。あれから20年以上経ったけどどうだろうか何も変わっていない。相変わらず駄目な日本を続けているに過ぎない。
これを政治家がうまくやれなかったと責任を一本化して問いかけるつもりはさらさらない。もはや政治だけでとどまる問題じゃないのは間違いない訳で。メディア、政治、経済、思想、教育、ありとあらゆるものが手詰まり感で閉塞した状況である。
もう限界で現状をなんとかして欲しい人この指とまれと問いかけたらほとんどの人が集まるであろう。みんながみんな我慢比べしてとっくに限界なのに我慢をやめないから自分からやめたら損するからやめれないみたいな我慢比べが起きてるのではないか。
その生き方に疑問をもち待ったをかけてるインフルエンサーも多数いる。彼らの言い分もわかる。だけど現状はそうじゃないだろと現実主義者は彼らの意見を採択しない。
インフルエンサーは嫌な仕事はやめろ、好きなことだけして稼げ、生活保護は恥ずかしくない、我慢しないで遊びながら生きろと訴えかける。確かにと思う反面じゃあ現状の日本はそうなんかといえばそうじゃない。
ベーシックインカムを訴えてても反対派は多いし生活保護は恥ずかしいとうちの姉ちゃんや母ちゃんあたりも未だに認識してるし世間の声が全てみたいな民主化社会においては極論では生きづらいのである。
独自のポジションと成功を納めたゆるく生きるインフルエンサーと必死でもがいて成功も手に出来ずに我慢して自分らしく生きれない庶民たちとの二極化が進んでるなあと思って。インフルエンサーの意見は浮世離れしてると嘲笑されて終わってしまう。
で、とっくに限界を迎えているのにどう修正したらいいか誰も答えを持ち合わせていないので現状を続けているだけである。間違ってるかも知れないことだとわかりながらも。
ここでちょっとだけ僕の意見だけ載せてもらって締めたい。抜本的な改革は教育にしかないなと思っている。僕のそれはゆとりだの教育時間を増やしたり減らしたりみたいな小手先のモンではない。
簡単に言うと戦後の教育は座学でみんなをひとくくりにして集団生活させて疑問を持たない素直な子を作るのに長けていた。もちろんそれはみんながモーレツに働いて国が復興するのに適していた。
工場で働いてこの部品が何に使われてるのか給料体系はどうなってるのとかお金の教育など肝心なモノは施されずにだけど疑問を挟まずに黙々と仕事して生産する戦士が沢山必要だったのです。昔はそれでも給料が上がったから良かった。
そんだけ頑張ったから高度経済成長を迎えたわけですな。脇目も振らず働く企業戦士を産むのに戦後教育は適していた。その体制はバッチリ噛み合っていたのだ。だけどバブルは崩壊して社会情勢も変わりその旧来の戦後教育のやり方では通用しないのはとっくにわかっているのに見直される事がないまま今まで来ている。
そこは思い切ってメスを入れるべきだと思う。心ある人たちもみんな教育にメスを入れるべきなのはわかっていると思う。そこから変えるしかないなと。そんな話です。