ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

切符をなくした場合どうなるか?何回か落とした経験者が語る。

あまりお役立ちみたいな情報を流さないこのブログ。たまにはそういうのも書いてみる。今回は駅で切符をなくした場合である。

 

つまりは行きで買った切符が電車に乗ってる間に紛失してしまった場合だ。こういう場合、目的地の改札に出る前にどうすればいいか。答えは一択で駅員に話してどこから乗ってどこまでの切符を買ったかを申告する。

 

僕は切符落とした経験者である。何回かは落とした。京阪電車JR西日本、それに近鉄でそれぞれ落とした。それぞれの鉄道会社の場合で対応がどうだったかも明かす。

 

京阪電車の場合。丹波橋から京橋区画だったが事情を説明したら料金を支払って解決。値段も値段だけに3倍支払わされたらやばかったが普通の値段でいけた。とはいえ鉄道会社によって対応違うのではなく駅員の裁量に寄るのかも。

 

JR西日本の場合。京都から山科まで。一駅間なので値段的には安い。払うと言ったけど次からは気をつけてくださいと言われて支払わずに解決。ホンマ駅員の対応一つなのかも。

 

近鉄の場合。東寺から桃山御陵前までだが正直に打ち明けたらこちらも料金支払いなしで通れた。きちんと事情説明したら理解はしてもらえるようだ。

 

何故切符をなくしてしまうのか考えたんだけど近距離の切符だとどうしても扱いが雑になるのとあの切符の小ささがどうやら紛失の元になるらしい。

 

周遊切符とかだと定期券入れに入る大きさだし遠距離になると流石に大事に保管するから無くさないがどうしても近距離の切符だとねえ…とはいえ切符落として迷惑かけるのアレだから落とさないようにはしないとである。

今週はおもいっきり働いたんでキョーイチアミューズメントパークで楽しんできた

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めちゃくちゃ久しぶりにブログ用にイラスト描きおろしました。昔は毎回描いてたんだけど。クオリティーを気にせずひたすら無邪気に描いてた時代だからあの頃は描くのは早かったけどイマは描くの時間かかるし。

 

というわけで気が向いたらまた描きおろすけど今週はめちゃくちゃ忙しかった。というわけでその分フレッシュするのだ。このブログによく来る人にはお馴染みかもしれないが今日はキョーイチアミューズメントパーク吉祥院に行ってきた。

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ビリヤードを1人で練習がてら。ところでビリヤードする人に聞きたいけどこの15球を全部落とすのに1人でどれくらい時間かかる?

 

僕は今回は1回目は15分。2回目は13分かかった。もう少し上手くなると縮められるだろうかな。上手くなりたいモンだ。まだ習得できてない技だらけだし。

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キョーイチアミューズメントパーク行くとだいたいやるダンクキッズ。それではいざ。本日のハイスコアは100

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でました104少しミスったからミスなけりゃ110くらいまでは余裕でイケるとみた。

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握力を測ってみる。右手が55だす。

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左手が50でした。あんまり右と左変わらんな。

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ラインズボールなる玉入れゲームだ。列が揃ったらいいことあるぞーミスタードーナツ

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反射で見にくいが一列揃った。もう一回遊べるドン。

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2回目は揃わず。惜しい。こんだけ遊んで800円くらいしか使ってない。充分楽しんだ。

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オマケだが今日は晩飯に焼肉いちばん。

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よき1日だった。

ドラクエ4の主人公とデスピサロから思う復讐劇の虚しさと正義と悪について

ドラクエ4をプレイした人にしかわからない記事なんで(特に筆者はリメイク版のデスピサロ仲間入りまでプレイ済み)ドラクエ4を知らない人にはわからない記事になる事を了承していただきたい。

 

ドラゴンクエストの生みの親の堀井雄二氏が手がけたドラクエ4。このシリーズもやはり深いメッセージ性が込められていて興味深い。

 

ドラクエ4の裏テーマは復讐の虚しさと正義と悪の関係についてとも言えないか。ここで軽くその概要について説明する。

 

このドラクエ4はオムニバス形式で一緒に旅する仲間ひとりひとりにスポットを当てて同時にラスボスの存在を匂わせながら最終章で主人公が登場し今までの仲間を集めて全てを明かすという壮大な群像劇になっている。

 

そして最終章は主人公サイドの平和な日常から物語はスタートする。女友達のシンシアや家族や村人と交流して楽しそうなリア充まっしぐらな主人公だったがその日常は長くなかった。

 

ラスボスのデスピサロの群勢が村もろとも襲撃してきたのだ。主人公は主人公補正もありなんとか隔離され無事で済む。だけどシンシアも家族も(仮の育ての親だが)村人も1人残さず惨殺されて村は壊滅状態に陥る。

 

主人公は村をあとにして冒険に出る。これが主人公の物語の始まりである。そこからの冒険はそのデスピサロが進化の秘宝を使って世界を滅ぼそうとしてるから阻止するというテイで仮に進むがあの惨劇を見たら主人公からデスピサロへの復讐とも取れる。

 

一方でデスピサロ側の主張ものちに明らかになるデスピサロにはロザリーというエルフ族のお気に入りがいた。彼女にたびたび会いにいくがロザリーには特殊な性質があった。

 

彼女の涙は流すたびに宝石になるのでたびたび人間から狙われていた。その事にデスピサロも杞憂していたがついに一線を超えてしまう。人間にロザリーは殺されてしまいデスピサロは暴走し人間にたいしての復讐劇がここから始まったのだ。

 

このように主人公デスピサロどちらにも復讐とも取れる因縁がある。どちらが正義でどちらが悪でもない。どちらも正義である。どちらも正義を掲げて戦っている。堀井雄二氏が単なる勧善懲悪を描きたかったわけじゃない理由がここにある。

 

最初に僕らプレイヤーは主人公側の悲劇を見たからデスピサロ憎いデスピサロは悪と決めつけたがこれが先にデスピサロの悲劇を見せられたらまた印象が変わるだろう。要するにスポットライトの当て方の違いだ。

 

どちらも理不尽に大事な人を失っている。主人公はシンシア。デスピサロはロザリー。その後の展開でロザリーだけ生き返ったのは賛否がある。まあデスピサロを正気に戻すため仕方ないのだがそれは今回の議題ではない。

 

ファミコンドラクエ4では仮に悪に染まったとされてるデスピサロは悪として描かれている。だがデスピサロも心持ちひとつで主人公がなったかもしれないifルートでの裏主人公である。正義と悪は紙一重である。

 

堀井雄二はのちのリメイク版の追加シナリオでファミコン版では描かれなかったデスピサロのその後を描いた。裏主人公のデスピサロにもご褒美をという意味合いもあったかもしれない。復讐は虚しい。双方痛み分けで悲しみの連鎖しか生まない。

 

物語の落とし所がデスピサロにヘイトが向かないようにエビルプリーストというか仮想敵にしたのはやや強引だが互いの復讐劇に終止符を打って両者に救いを与えたのは良かったかもしれない。

 

堀井雄二氏はこんなふうに復讐とか正義とか悪とかは単純なモノじゃなく複雑に絡み合ってそれぞれに物語があるのだというのを僕らに考えさせたかったのではないか。ドラクエには色々考えさせられるストーリーがある。

伸びてないvtuberと伸びてるvtuberのゲーム実況を見比べてみて感じたこと

以前に病気療養したこともあってかYouTubeの視聴時間がかなり増えまして😅ゲーム実況の切り抜きとかも最近よく視聴したのね。色んな人のヤツを手当て次第に。

 

んで再生数が20とかの実況もあるわけ。最近はじめたvtuberなのか知らないけど。それも視聴した。それとは違い10万越えの再生数のにじさんじとかホロライブの実況とかも見た。大空スバルとかニュイとかね。

 

生意気ながらそれで伸びてるvtuberと伸びてないvtuberの決定的な違いみたいなの一つわかったわけ。ぶっちゃけ僕にとって動画編集の上手さとかそのvtuberの見た目とか有名無名は関係なくて伸びてるか伸びてないの理由はそんなんじゃなかった。

 

僕の持論だけどゲーム実況とかってゲーム自体はあくまでオマケ。なんつーかその人の生の反応というか魂の叫びとか驚きとか涙とか喜びの反応とかにその実況者の生き様とか価値観とか出るからそれが観たいわけ。

 

伸びてないvtuberはなんか綺麗すぎてその人となりが見えなかった。もっと人間味ある生の反応が見たかったというか。なんか繕ってるなって感じ。もっとさらけ出して生の感情出した方がいいなと思った。

 

将来的にAIがゲーム実況までする時代が来るかも知れないけど絶対に伸びないと僕は思う。人間らしい感情とかの出し方だけはAIには真似できない分野である。

 

たとえば伸びてるvtuberの大空スバルとかって声がデカいしゲームも下手でやかましいけど綺麗に取り繕わずに思ったことを感情むき出しに思っただまんま喋ってるから視聴者に近い見方でゲーム実況してるのが見てて楽しいのだ。

 

そのゲーム実況を見る時って自分もそのゲームを昔やってて腹立てたり何この展開とか思ったり叫んだりしてたわけ。伸びてるvtuberはその僕が昔そのゲームをやった時と同じように反応しててそれそれ!と思わず膝を叩きたくなる。

 

要するに綺麗な実況じゃなくても良いのだ。その人の人間味みたいなのを実況を通じて見たいし、ゲームの理不尽さに腹立てたりするサマとか反応を見てその人の人となりが出るから面白いのであってAIみたいな淡々とした実況は面白くないわけ。

 

まあ淡々と実況するのも良いとは思うし毎回騒いでるのが良いというのは違うけどなんかやっぱりその人の人間味みたいなのは見たいよね。コレってブログでも同じで。最後は人なんじゃないかなと。そう感じた。

第一興商のビッグエコーお年玉プレゼント当たっちゃいました

私的なのと普通の記事との境目が分かれてなくていつもごっちゃなこのブログですが…ちょいと嬉しい事あったんで報告をば。

 

僕はカラオケのビッグエコーの会員になってるんですがこの前お年玉プレゼントに応募したんですな。

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こんな風に豪華景品が当たるヤツ。軽い気持ちで応募したんよね。まあ外れても参加賞でカラオケ10%割引きクーポン当たるし10000名にカラオケ30%割引きクーポン当たるからどれかしらの割引きクーポンは当たると思ったわけ。

 

そしたら見事に当たった。商品はこちら💁

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10名に当たるレッドブル24本Iケース!やったね。10名なら良い方では?どれくらい応募あったかは知らないけど。よきかな。

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本日届いたのだ。開封して出してみる。

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確かに24本ゲット。凄まじい本数だ。

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ミニ冷蔵庫に入れてみた。一部だけ。まだまだ残ってるけど。いやあーなんかなんでも応募してみるもんだね。無欲だったから当たって驚いた。この記事見てる人もなんか軽い気持ちで応募できそうなのあったら応募した方がいいかも

今日は上桂あたりまでサイクリング。そのあとにカラオケ

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久しぶりに街を散策してきた。年末は体調崩したりとかしてなかなかウォーキングやらサイクリングできてなかったが今日はようやく重い腰をあげて行ってきた。

 

今回は上桂あたりまでサイクリングである。1時間半くらいかけて。そのあとはカラオケに行ってきた。今回も街の写真とカラオケの模様をダイジェストで。

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吉祥院のじん屋。

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陸橋建設中のとこはじめてみたかも。

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ボークス京都。

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茶店っぽいけど。

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昔からある純喫茶。

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イオンモール五条。ほとんど行ったことない。

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何年か前に食ったことあるチファジャ上桂店。

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餃子花伝という無人販売店。

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古本市場

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んでサイクリングを切り上げてやってきたのはビッグエコー京都駅前店。

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woo天国行きのバスで行こうよの天頂バス。

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限界突破サバイバー。

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もう恋なんてしない。カロリー消費した。

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テレキャスタービーボーイ。このボカロ系はだいたいこの映像流れる。

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ミスチルの昔のアルバム曲。古そうな映像だ😅いつの使ってんだろ。

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恋とマシンガン。フリッパーズギター。懐かしい。

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歩いて帰ろう。本人映像だけどそっちかよ。今日はこんな日でした。

ドラゴンボールやM1グランプリの数値化がもたらす効果について

ドラゴンボールM1グランプリが革新的だったのはそれまで既存の漫画や賞レースが取り入れなかった指標として数値化に手を出したからではないだろうか。そんな考えに至った考察の一端を書き記しておく。

 

まずはドラゴンボールから。筆者は熱狂的なドラゴンボールファンである。ドラゴンボールがバトル漫画として円熟するにつれてある時から今までになかった概念が取り入れられるようになった。

 

それが戦士たちの強さの指標の明確な数値化である。このあたりからドラゴンボールファンは急激に増えて熱狂的なファンはその数字の大きさに時に高揚し絶望したり驚かされることになる。

 

ドラゴンボール以前のバトル漫画にはなかった試みである。この数値化は敵の強さの分かりやすさと読者に興奮を与えた革新性をもたらした。

 

それまでドラゴンボールに出てくる味方含めて敵キャラはその強さの序列が曖昧だった。なんとなく悟空はクリリン天津飯よりも強いとかピッコロとは互角かもとかそれくらいの感じで見ててお互いに強さの格差がどれくらいできてるのか明確化されてなかった。

 

そこから戦闘力という概念がはじまった事によってバトルにさらなる緊張感をもたらし数値化により味方敵含めて互いの手の内が明らかになった。そして数値が敵より低い戦士が何をやっても勝てないのが明確に記された。

 

その中でも悟空だけが毎回味方の中で桁違いの数値を叩き出すサマを見て僕ら読者は興奮させられるのだ。だからいつでもクリリンやら天津飯が何をやっても勝てない敵に悟空だけ何故か肉薄して勝てる理由が数字となり説得力を生み出した。

 

そして伝説になったフリーザの53万という数値を見てその桁違いの恐ろしさに驚愕させられたのだ。それ以降は戦闘力という数値は使われる頻度は減っていつのまにか消えていた。

 

これを考察するに戦士の強さを表す指標の数値化は一つの役目を終えたのだ。新たな敵キャラをこれからも数字で表してもフリーザの二番煎じになるし新鮮味がない。

 

味方全員の戦闘力も明らかにしたしもうこれ以上はまいど戦闘力を発表してもそれはノイズにしかならないし邪魔になると判断して消したのだろう。賢明な判断である。

 

一方でM1グランプリの数値化はドラゴンボールと同列では語れないがその役割は大きいと思うのだ。それまで漫才師の漫才に点数をつける賞レースはなかったと思われる。というか漫才の賞レースがそこまでなかったしゴールデンタイムに放送されるのもなかった。

 

M1グランプリだけは毎回その数値化は機能を果たしていてドラゴンボールのように途中で役目を終えて姿を消すことはない。ではドラゴンボールと何が違うのか。

 

M1グランプリの審査の点数のルールは100点満点の数字から0点の間のレンジの中から毎回審査される。概念上は0点をつけるのも可能だがだいたい近年の審査の傾向は100点から80点のレンジの中から行われる暗黙の了解だ。つまりドラゴンボールみたいに突飛な数字を出す必要ない。

 

決勝に残るM1戦士が点数が80から100にしないと準決どまりの人たちはどうなるのかというのもあると思う。なら準決勝を点数にしたら70から100くらいと点数の幅がもっと広がるのではないか。一回戦に至れば0点のも無くはない。ただ準決勝はテレビで放映しないから数値化の必要がない。

 

そう。この数値化はテレビ放映でやるから意味があるので一種の盛り上げ演出に過ぎない。毎回漫才の審査を数字で表すので競技性が増してその数字の大きさに視聴者は興奮させられたり高揚感を覚えるのだ。

 

漫才を競わせるだけでも充分に番組として面白いしフックになっている。ドラゴンボール天下一武道会で戦士を競わせることで急に面白くなって漫画として息を吹き返したように競い合うサマは視聴者は興奮させられるのだ。

 

もちろん審査員の点数なくてもたとえば後で10組の中から最終決戦に残したい組を3組投票みたいなシステムでもいい。でも視聴者が沸くのは審査員の点数が入るその瞬間である。だから数値化は必要なのだ。

 

視聴者から見てもあの漫才はめちゃくちゃ面白かったよなー!どれくらい点数入るんだろうと気になるしその答え合わせを審査員の点数で毎回やってるのだ。興奮しないわけない。数値化してることで過去のM1戦士とも比較したりしてあの漫才を超えたかもとか視聴者は一喜一憂するのだ。

 

ただそうやって漫才師の漫才に点数をつけて序列つけるのは悪趣味である。悪趣味と引き換えにもたらす番組としての面白さだ。悪趣味だし審査する審査員は死に役である。だから毎回のように審査員選びが難航してるのも無理もない。

 

ベテランのレジェンド芸人がM1グランプリを批判してるサマをたまに見かけるがその悪趣味さゆえにであろう。悪趣味と面白さが同居している。ベテランのレジェンド芸人も審査する審査員目線から見てるだろうから点数つけたくないよなーってそんな見方である。

 

松本人志氏も最初は審査員になるの渋っていたと聞く。島田紳助氏に促されて仕方ないから引き受けた的な。そのかわりに初期のM1グランプリは尖っていてめちゃくちゃに点数の開きをつけていた。仕方なしに引き受けた彼ならではの抵抗だったのだろう。