ドラゴンボールやM1グランプリが革新的だったのはそれまで既存の漫画や賞レースが取り入れなかった指標として数値化に手を出したからではないだろうか。そんな考えに至った考察の一端を書き記しておく。
まずはドラゴンボールから。筆者は熱狂的なドラゴンボールファンである。ドラゴンボールがバトル漫画として円熟するにつれてある時から今までになかった概念が取り入れられるようになった。
それが戦士たちの強さの指標の明確な数値化である。このあたりからドラゴンボールファンは急激に増えて熱狂的なファンはその数字の大きさに時に高揚し絶望したり驚かされることになる。
ドラゴンボール以前のバトル漫画にはなかった試みである。この数値化は敵の強さの分かりやすさと読者に興奮を与えた革新性をもたらした。
それまでドラゴンボールに出てくる味方含めて敵キャラはその強さの序列が曖昧だった。なんとなく悟空はクリリンや天津飯よりも強いとかピッコロとは互角かもとかそれくらいの感じで見ててお互いに強さの格差がどれくらいできてるのか明確化されてなかった。
そこから戦闘力という概念がはじまった事によってバトルにさらなる緊張感をもたらし数値化により味方敵含めて互いの手の内が明らかになった。そして数値が敵より低い戦士が何をやっても勝てないのが明確に記された。
その中でも悟空だけが毎回味方の中で桁違いの数値を叩き出すサマを見て僕ら読者は興奮させられるのだ。だからいつでもクリリンやら天津飯が何をやっても勝てない敵に悟空だけ何故か肉薄して勝てる理由が数字となり説得力を生み出した。
そして伝説になったフリーザの53万という数値を見てその桁違いの恐ろしさに驚愕させられたのだ。それ以降は戦闘力という数値は使われる頻度は減っていつのまにか消えていた。
これを考察するに戦士の強さを表す指標の数値化は一つの役目を終えたのだ。新たな敵キャラをこれからも数字で表してもフリーザの二番煎じになるし新鮮味がない。
味方全員の戦闘力も明らかにしたしもうこれ以上はまいど戦闘力を発表してもそれはノイズにしかならないし邪魔になると判断して消したのだろう。賢明な判断である。
一方でM1グランプリの数値化はドラゴンボールと同列では語れないがその役割は大きいと思うのだ。それまで漫才師の漫才に点数をつける賞レースはなかったと思われる。というか漫才の賞レースがそこまでなかったしゴールデンタイムに放送されるのもなかった。
M1グランプリだけは毎回その数値化は機能を果たしていてドラゴンボールのように途中で役目を終えて姿を消すことはない。ではドラゴンボールと何が違うのか。
M1グランプリの審査の点数のルールは100点満点の数字から0点の間のレンジの中から毎回審査される。概念上は0点をつけるのも可能だがだいたい近年の審査の傾向は100点から80点のレンジの中から行われる暗黙の了解だ。つまりドラゴンボールみたいに突飛な数字を出す必要ない。
決勝に残るM1戦士が点数が80から100にしないと準決どまりの人たちはどうなるのかというのもあると思う。なら準決勝を点数にしたら70から100くらいと点数の幅がもっと広がるのではないか。一回戦に至れば0点のも無くはない。ただ準決勝はテレビで放映しないから数値化の必要がない。
そう。この数値化はテレビ放映でやるから意味があるので一種の盛り上げ演出に過ぎない。毎回漫才の審査を数字で表すので競技性が増してその数字の大きさに視聴者は興奮させられたり高揚感を覚えるのだ。
漫才を競わせるだけでも充分に番組として面白いしフックになっている。ドラゴンボールも天下一武道会で戦士を競わせることで急に面白くなって漫画として息を吹き返したように競い合うサマは視聴者は興奮させられるのだ。
もちろん審査員の点数なくてもたとえば後で10組の中から最終決戦に残したい組を3組投票みたいなシステムでもいい。でも視聴者が沸くのは審査員の点数が入るその瞬間である。だから数値化は必要なのだ。
視聴者から見てもあの漫才はめちゃくちゃ面白かったよなー!どれくらい点数入るんだろうと気になるしその答え合わせを審査員の点数で毎回やってるのだ。興奮しないわけない。数値化してることで過去のM1戦士とも比較したりしてあの漫才を超えたかもとか視聴者は一喜一憂するのだ。
ただそうやって漫才師の漫才に点数をつけて序列つけるのは悪趣味である。悪趣味と引き換えにもたらす番組としての面白さだ。悪趣味だし審査する審査員は死に役である。だから毎回のように審査員選びが難航してるのも無理もない。
ベテランのレジェンド芸人がM1グランプリを批判してるサマをたまに見かけるがその悪趣味さゆえにであろう。悪趣味と面白さが同居している。ベテランのレジェンド芸人も審査する審査員目線から見てるだろうから点数つけたくないよなーってそんな見方である。
松本人志氏も最初は審査員になるの渋っていたと聞く。島田紳助氏に促されて仕方ないから引き受けた的な。そのかわりに初期のM1グランプリは尖っていてめちゃくちゃに点数の開きをつけていた。仕方なしに引き受けた彼ならではの抵抗だったのだろう。