今回のテーマは死についてである。これはかなり難しい。あえてこのテーマに向き合ってみる。思えば去年は叔父さん2人の死と向き合ってた1年だった。僕も死を意識せずにはいられない。
僕は明日も生きられるなんて思ってはいない。いつ死ぬかわからないという恐怖はいつでも消えない。
僕もこの年まで色んな体験をしてきた。RPGで言えば強制イベント(学校に行く、会社に行く)に参加して必須ではないイベント(恋愛、結婚、出世)は何個かスキップしたり参加したり体験してない事はほぼなくなってきた。
この未体験の経験ってのはやる前は恐怖である。もし今からスカイダイビングしろと言われたら未体験のうちは恐怖でしかない。一回やってしまえば楽なんだろうけど死だけはじゃあ一回軽く死んでみっかとはならない。
死んだら一巻の終わりみたいな感覚で取り返しがつかない。臨死体験みたいなのした事ある人もいるだろうがこちらの世界に戻って来れなきゃそれもおしまいである。未経験の体験というのはそもそも恐怖である。
この死ぬって事に向き合ってきたのは仏教だったりするのかなと思う。だけど仏教を持ってしても死の恐怖に明確に解決できてないなと言わざるを得ない。
だって明確に解決できていたら僕らはとっくに死に対して恐怖心を克服出来てるよ。死を克服したからじゃあ明日死んでも大丈夫かなと言われてもちょっと待ってとなるよ。僕らには現世への未練が必ずある。
まだもうちょっと美味い食べ物食べたいとか美女のエッチな画像で興奮したいだとかもう少し家族や友達やらと話したい事があるとか電車に乗ってまだ行きたい場所があるとかやり残した事があったりする。
ただこの死ぬ事への恐怖が和らぐような哲学や新たな考えが広まったらもっと死ぬ事に対する考え方が変わると思うよ。それこそ安楽死の問題だったりただいたずらに寿命を伸ばす事に執着する考え方にメスを入れられる。
僕もぶっちゃけ死はそんなに怖いモンではないと心のどこかでは思ってはいる。それを裏付ける確証がないだけに表立って言えないけど。意外と死ぬ前ってアドレナリンが出て快感で気持ち良く死ぬって感覚ありそうだし。ないかなぁそんなハナシ。意外とエッチの何倍も気持ちよかったりして。
そう思わないと死はいつまでも恐怖のまんまである。死はタブーではない。必ず訪れる。今の死を恐れる文化はいたずらに恐怖を煽っているだけではないだろうか。僕が死ぬ時は笑って送り出して欲しいと心のどこかで思ってる。
惜しい人を亡くして悲しむのもわかるが死ぬ事に対してもっとライトな感覚になれたら死ぬ事への恐怖は和らぐのになあ。ちょっとお勤め終わったからあっちの世界に行ってくるわみたいな軽いノリで死んでいく感じ。
コレって理解されないんだろうな。でも絶対にそうだと思う。生命を軽視してるわけじゃないけどもっと死に対して重苦しさを取り除いてくれたら死ぬのは怖くないはず。
ただ出来れば苦しんで死にたくない。ある朝いつもの時間に家族の前に姿を見せるはずが起きて来ない。気になり見に行くと眠るように安らかに死んでいた。そんな死に方ならまだ全然受け入れられる。
そうなんよね。死に方と紐付けていい死に方できれば死に対してもっとポジティブに捉えてられないだろうか。そんな事をずっと考えたりしている。