ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

一流芸能人も避けられなかったさみしさ。解消の方法はあるのか

ちょっと以前から書きたいなと思いつつも書けずにまだ煮詰まってなかったテーマですが思い切って書いてみようと思う。グダグダになる可能性はあるので期待せずにどうぞ。

 

この世の中にはどんなに金を積んでも権力を行使しても避けられないモンがいっぱいあると思う。

 

病、死、悲しみ、老いetc

 

それらを前に金や権力は無力である。今回はさみしさというのをテーマに取り上げてみる。

 

よくツイッターとかで独り身は寂しいという意見が飛び交う。僕もタイムラインでよく見かける。それは恋人の作り方がわからない、出来ないもしくは望まぬ形で配偶者や恋人と別れてポッカリ穴が空いたみたいになってしまった話も聞く。

 

僕も独身である。だけど恋人や奥さんがおったら寂しさは全て無くなるのかというのには甚だ疑問である。だって家族や恋人とか深い関係になった時点で新鮮さはだいぶ薄らいでいく。

 

それは愛情が無くなるという意味ではなくて一緒にいて特別な気分を味わう機会を失っていくという事。恋人や妻が出来たら万能薬みたいに全ての悩みが消えるのかと言えばそれは錯覚だと思う。自分の中だけで描いた恋人や妻とのキラキラした夢や理想は幻想である。そこはただただ現実が待ってるだけである。

 

ミスチル桜井和寿も終わりなき旅で誰と話しても誰かと過ごしても寂しさは募るけどと歌っていた。あの桜井和寿ですらそうである。嫁や子供や家族も居て成功を掴んだ男ですらそう歌っている。

 

島田紳助も同じような事をエッセイのいつも心に紳助をファイナルで語っていた。自分は人生博打のつもりでお笑いの世界に全て賭けてみた。ほんで成功した。だけど毎日がつまらないと思ってる自分がいる。

 

家族や子供とおってもあかん。寂しさは別物やと。仲間とおらんと取り残された気持ちになると。あの島田紳助ですらそう言ってるのだ。僕はこれは真理だなと思ってる。寂しさを埋める事ができるのは恋人や妻ではないんだろうなーと。芸能人でバリバリ働いてた頃の島田紳助の話である。

 

もちろん恋人や妻や子供がおったらいいに越した事はないしちゃんとそういう存在を大切にしてる人を頑張ってるし凄いなあとは思う。

 

その解消方法は今の島田紳助にヒントがあるんじゃないかなぁと注目してみた。今の島田紳助をまとめてみた。

 

①トレーニングしていて鍛えている

②貯金だけで生活している

③クソガキみたいに毎日仲間と遊んでいる

④ゴルフや草野球を楽しんでいる

 

とまあ若者に戻ったかのようなエンジョイっぷりである。先立つモノも必要だろうが島田紳助には芸能人時代の貯金がある。多分何億積まれても芸能の世界に戻るつもりはないんだろうな。エッセイを書いていた頃の鬱鬱としていた島田紳助の姿はそこにはなかった。

 

多分、③と④が大きいのだと思う。毎日のように誰かしら付き合ってくれる仲間がいてそばにいてくれているのが。

 

僕の好きなライフシフトという本の中にも無形資産という概念がある。定年後の人生には必要になってくるモノである。人脈だったり若々しい肉体だったり所得を得るためのスキルだったり知識。仲間もいない家族との関係も良くないというのでは無形資産の価値は下がる一方である。

 

島田紳助ライフシフトを読んでる可能性は多分低いと思うが島田紳助が引退後に選んだ道はライフシフトのそれと図らずも同じである。どんどん若々しく仲間と共に新たな思春期を迎えることが出来ているのである。

 

島田紳助は成功者である。多分に自分の人生の理想の9割くらいはやりたい事叶えたと考えて間違いないと思う。僕はというと島田紳助ほどではないし沢山選択をミスったりして叶えられなかった夢もまだある。自分の人生の5割くらいのやりたい事は叶えられたかなと思う。

 

全てを真似することは無理だけど心の師匠の島田紳助の真似は出来るならしたいと思う。ツイッターの方でこんな僕でもたまに会ったりオフ会に来てくれる仲間がいる。これは僕にとっては無形資産である。

 

この無形資産を定年後も大事に取っておいて願わくばその仲間と共に遊んだり発散して島田紳助みたいに若々しく第二の思春期をエンジョイしたいとい野望を持っている。それこそが今、寂しさを解消出来る最上の手段ではないか。という風に本気で思っている。