ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

僕らはどうして飼い慣らされてしまうのか。おとなしく一方通行で聞いてるだけの学校教育の弊害

小学生とか中学生あたりまでだと思うんだけど好きな事見つけたらいつまでやり続けるもの凄い集中力あったし吸収が早かったし明日の事を考えて不安になったり未来の事を考える事なんて全く無かったと思いませんか?

 

僕は小学生の時にファミコンのゲームとかで同じソフトを何回も出来たし失敗して残機がなくなってコンテニューになってもう一度一からやり直す事になっても平気でやっていたのね。おじさんになった今は無理。なんか没頭出来ない。

 

多分無敵状態だったんだと思う。あの頃の僕は。実力も何もないけど不死身に近くてあの頃にめちゃくちゃ前に進んでれば凄い高みにまで行けたんじゃないかなと。何せ無敵なもんで。

 

ところが学校教育を受けて僕らは自分の可能性に蓋をしまいがちになります。義務教育の9年間。同じ時間に決まったメンバーで教室に集まって同じ授業を受けて同じ生活をする。

 

世の中の疑問に思う事には大人や教師は答えてくれなくて学校側が考えた問題に正解を答える事がヨシとされる。学校側が作った問いにただ教科書に載ってる回答を答えるだけ。これで自主性や主体性が育つはずがない。

 

世の中には答えのない事なんていくらでもあるし本当に大事なのは自分で問いを考えてそれに正解を見つける事なんじゃないか。要するに上から与えられた問題に答えるだけでは受け身な人間を大量に生産するだけになるような気がする。

 

現に会社でも上司が言うまで何も動けないし自分の頭で考えられない自立出来ない新入社員とかが多い。学校で従う事に慣れすぎてとにかく自分の頭では考えられなくなってる人が大半だと肌感で感じる。

 

無理もない。学校で授業に関係ない事を言えば叱られるしおとなしく黙って一方的に聞いてるだけの方が賢いって事になったら主体的に動くのやめようとなるのはわかる。変に挑戦したり行動しても仕方ないしおとなしくしてようって感じになってしまいます。

 

それと冒頭に子供の頃に集中力が凄かったし吸収が早かったという話をしたがそんな黄金期のような時期に子供を1カ所に閉じ込めて全員同じことをさせるのは僕はめちゃくちゃもったいないと思う。

 

もうすでにその時期にめちゃくちゃ勉強得意で好きな子供が居たら同じ学年で授業させてしまうのはもったいない。飛び級がない日本なので仕方ないっちゃ仕方ないけど。スポーツで才能開花した子供がいたらもうそればかりやらせてもいいような気もする。

 

それでも子供に合わせてそんな臨機応変な対応は学校には出来ない訳で勉強が得意でスポーツが苦手な子供にもスポーツやらせたりスポーツが得意で勉強が苦手な子供にも勉強をさせたりする。苦手な事を苦手なままで終わらせたくないのがこの社会の特徴である。

 

みんなトントンにして平均点を取らせて何か飛び抜けた才能のない子供にさせてしまってるような気がして仕方ない。現に社会に出たら何ごとにも平均点を取れる人が重宝されてるからある意味それにおいては学校教育は成功してるのかも知れない。

 

だけどそれで本当にいいのだろうかと僕は甚だ疑問だ。サラリーマンになって妙に従順で我慢体質で飼い犬のように飼い慣らされるだけの人生が待ち構えているだけである。

 

どこか僕は反骨精神を失いたくないしどんどん自分の思いを発信していきたい。疑う事を知らずにただ耐えていくのが美德なんてまっぴらごめんなのである。