ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

学校の給食を早く食べれたり好き嫌いなくしたりみんなと合わせる事がそんなに大事か?

学校だったり親だったりってのはみんなが出来る事は誰でも出来ると思ってるんだろうな。今までの人生の中で〇〇が出来なくても別にいいよと言われた試しがない。

 

みんなも出来てるんだからお前もやれという乱暴な理論を散々押しつけられてきた。もしくはみんなが出来てるのにお前だけ何故出来ないと言われる。大きなお世話である。

 

親や学校としては苦手な事は克服してもらってレーダーチャートっていうのかな?あの六角形のグラフみたいなやつあるやん。キレイにどれも平均点を取れるような器用貧乏みたいななんでも出来ますタイプの子供に育って欲しいのかなって。

 

たとえば学校の給食を人より食べるのが遅いと休み時間にも食えと言われたりすることがあったり嫌いなものを残さず食うまで休み時間に入るなみたいな無茶苦茶な事もあった。そこまで強制してみんなと同じように出来るように合わせる事に何の利点があるんだろう?本気でわからない。

 

出来ない事や苦手な事を無理矢理に矯正して伸ばす事に僕には価値が感じられない。でも今の日本の教育の現場では平均化、みんなが苦手を克服してカタチだけでも能力のレーダーチャートがキレイな六角形を描けるようになる事をヨシとしている匂いがプンプンする。

 

それは本当に何でも最初から出来るようなキレイな六角形を描ける子供だけに施したらいいのではないか。出来ない子に無理矢理やらせるより出来ない子は出来ない子なりの育て方をきちんとしてあげて欲しい。

 

たとえば気が弱くてリーダーシップを発揮出来ないし行動力はないけど個人の技能や優しさや人の話を聞く力が優れている子に矯正させてリーダーにさせたり行動力もつけさせても良さを殺すだけである。何もかも中途半端になる。

 

その特化した能力を伸ばす方に教育した方が絶対にプロフェッショナルになる。会社に入っても何でも出来る器用貧乏が重宝されてるけど僕はこれだけは人より優れているって武器を磨いてる人を育てた方がいいと思うんだけどな。

 

何もかも全部出来る中途半端な人材が何人おっても改革やイノベーションは起こらないような気がする。それよりこれだけは人より出来るっていう六角形がジグザグな尖った人を育てるべきではないか。好きなことだけをとことん追求させる。出来ない事は無理矢理させない。

 

元から苦手で伸ばしてもたいして伸びしろがなさそうな事をさせて全員が同じ事出来ますってさせてもしゃーないと思いませんか。逆に怖いわ。画一化させるのって。でも今の教育の現場ではそんな事がまだ行われていると想像したらゾッとする。