ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

戦争をしてはいけないと教えるのもいいけど大事なのはみんなが無理矢理意見を合わせて同じ方向に向かわない事

戦争はいけないとか戦争してはいけないと散々に聞かされてきた戦争を知らない世代ですが。もう常に思っている事あるんですよね。なかなか勇気がいるから言いにくいけど実はみんなが上から打ち出された事を無理矢理聞く方が1番危ないって事が。

 

あの日本が頑張れば勝てるかも知れないと思っていたあの戦争の際に誰も異を唱えなかったのは変だと思いませんか。もちろん言論や宗教が規制されて国が1つの方向に向かうために個人の意見を言いにくいという背景はあっただろうけど。

 

この状況で誰か1人が「日本はたぶん負けるし戦争なんかしてもお金と人材が無駄になるからやめようよ」と異論を唱えようものなら「何言ってんだ。勝つに決まってるだろ。この非国民が」と罵倒されて変人扱いされて国の機関に通報されるかも知れない。国が同じ目標に向かって意見を1つにしてまとまっているのに邪魔するなと。異端な者は要らなかった。

 

戦争をしてはいけない。それと同時にみんなが無理矢理に上から打ち出された事をホイホイ聞いてしまうのが何より怖い。今の日本も会社とかからトップダウンで上が考えた打ち出しを下は何も考えず実行する形式が多い。同じような図式が当てはまると感じる。

 

この形式の脆弱性はとにかく上がなんらかの形でバッサリ居なくなれば下は自分から何かを考える事が出来ない。命令する者が居なくなれば急に弱くなる。途端に烏合の衆になる。

 

ほいほい従ってくれる形式は上にとっては扱いやすいしどんな方向性にも向かわせやすい。カルト団体がなぜか集団で集まるのも集団で団結して異を唱える人を排除して結束させて何かやりたい目的を遂行させやすくするためだ。

 

戦争してはいけないってのは本当は為政者というか上に立ってる人間に直接抗議の意味合いで言うべきではないかなと。で、我々みたいな庶民には上から打ち出された事をほいほいと聞くのもいいけど自分の頭で考えて簡単に従ってはいけないと教える方が大事じゃないかと。

 

このあたりの違和感は昔からずっと気になってた。我々みたいな庶民が戦争なんて起こせるような財力も人材もない。本来は為政者やリーダーに戦争してはいけないと教えるべきである。我々庶民に大切なのは個人個人が頭を使って自分の意見を持つ事である。

 

そりゃ自分の意見を持って主張するのは怖い事もあると思うよ。たとえば今ではよく言われてる千羽鶴を被災地とかに送るのは意味ないからやめた方がが良いという意見。

 

だけど今でもデイサービスとかの施設で高齢者がせっせと作っていたりする。そんな現場に偶然に居たとして千羽鶴を作るのは意味ないとせっせと作ってる高齢者に直接言えるだろうか。言えないよね。だから今でも千羽鶴は作られ続けている。

 

話がちょっと変わってきたけど自分の意見を持つというのはそういう事である。異を唱えのは勇気がいるし生命がけになる場面もあるかも知れない。だけど自分の意見を持って主張する事が社会の運命を大きく変えるかも知れないのである。