ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

おすすめしたい他人に対する期待値ゼロ思考

推敲も下書きもせずに思いの丈をぶつけます。というか僕の今のありのままの気持ちを書き綴ろうかな。

 

僕は他人に対しての期待値がゼロである。それがすっごく楽なんだというのをお伝えしたい。とはいえ僕も以前は部下を持って仕切ってたりした事もある。その時はゴリゴリにあーしてもらいたいとかこーして欲しいという願望を下にぶつけていた。

 

今はそんなポジションすら手放したから楽だ。転職して全てゼロにした。今でもたまに他人のやり方と他人に口出ししたくなる時がある。だけど黙っていようと思う。僕はいつ頃からか色んなモノを手放しはじめていた。

 

異性からモテたい願望とかお金もっと欲しいとか人から好かれたいとか人を説得したいとかそんな気持ちがあるから苦しい時があるんだなって。気持ちの断捨離というか。要らんモンは手放したいなって。

 

何より人に対して寛容になれた。なんか他人に対する期待値が高い時は少しのズレも許さないただただ他人に厳しいだけの人間だったなって。そもそも自分を基準に考えて自分が出来る事は他人も必ず出来ると思ってはいけない。

 

たとえば僕はそれこそ得意だし好きだから毎日ブログ更新をやれと言われても平気だし忙しくてもやろうと思えば出来ると思う。だけどそれを他人にも強要して俺が出来るんだからお前もやれと言うのは横暴である。

 

俺でも出来るんだからお前もやれというのはホンマに禁じ手にしないといけないよなあ。世の中の先生とか指導者と呼ばれる上の立場の人間に未だにこれを言う人がいる。

 

僕は他人に対して出来ないのが当たり前だと思っている。ハナから期待値は高くない。期待値を高く設定してあげるのはその人にかわいそうではないか。それは自分に対しても。自分にもナンボ努力しても出来ない事はいくらかある。

 

だから遅刻せずに会社に来れただけでも凄いと思うし普通に仕事できるだけで万々歳くらいの感じである。なんも別に凄い事しなくても全然いいと思う。僕は子供居ないけど仮に子供居たとして別にいい大学出ようが出まいがどうでもいい。普通に生きてるだけで充分である。

 

それくらいみんなが寛容になれたらもっと世の中生きやすくなるのになと常々考えている。みんながみんなに対して期待値が高いから全員が上げ底ブーツを履いて歩いて歩きにくくしてるんじゃないかなと。

 

それくらい期待値の低い世の中でみんながちょっと頑張ったり想定外の活躍しただけでなんか幸せやんか。みんながみんな期待値が高すぎるねん。みんなミスっても失敗しても笑って許す社会になったらいいのにね。

 

ちょっと話がズレるけど僕はだいたい自分主体でオフ会だったりなんかのイベントにみんなを連れて参加する事が多い。だがたまに自分主体じゃない時もある。誰かのプランに乗っかる事もある。

 

その時にその主催の人がちょっとグダってみたり段取りが悪い時があったりする。僕が主体の時もそれは当然あるんだけど。その時に僕は妙に安心するのだ。そんな気持ち伝わるだろか。

 

僕、全然人がミスったり迷惑かかっても怒らないしむしろかけて欲しい。僕も多分知らず知らずのうちに迷惑かけてる事もあるかも知れんしお互い様である。

 

海外みたいに電車が時間通りに来なくても怒らないし市役所の人間がバカンスで不在で窓口がいなくても怒らない台風だし会社をあっさり休んでも怒られない子供が親が思ったような進路を進まなくても怒らない…そんな日本になったらいいのにな。自ら生命を絶つ人も引きこもりになる人も少しは減らせるかも知れないのに。