先生や親や大人たちが子供に望むのっておとなしくいい子でいて欲しいっていう事だと思う。僕もそれは正解だと思う。マナーとかモラルとかって子供の頃から植え付けないと遅い。一度染みついたものってなかなか離れない。
敬語の使えない子供とかってやっぱ将来的に不安になる。多分そのまんま成長したらどこか人から好かれにくい人になると思う。フランクに話せるのはいいんだけど社会から求められてるものを提示できないのはやはり良くない。
で、それとは真逆の事を言うんだけどいい子はいい子でいいんだけど思春期でどこかでいい子というその命綱を外して全部捨てて空から飛ばないといけない時が来ると思うんです。
人と喧嘩しないいい子=人と喧嘩できない子
勉強真面目にやる子=勉強だけしかできない子
親や先生の期待に応えて言う事を聞く子=それに応えられなかったら挫折して引きこもり自暴自棄になる子
全ての判断を親や教師に委ねる子=自分の頭で考える事が出来ない子
と言ったように親や教師が望むいい子像ってのはどこかひ弱で頼りにならない子に成長すると思うんです。他人に迷惑かけずに細々と生きていく事が正しいんだみたいな。
もちろん迷惑かけない方がいいんだけど。どこかダイナミックさにかけるというか若年寄みたいなジジくさいババくさい人間になっていくというか。
思春期にはタガが外れて多少のワルさしていいんじゃないかなと僕なんかは実は思っている。経験こそが正義だと思う僕だからこそ言える。経験をしなきゃ人は成長しない。実業家や社長や成功してる人は思春期にヤンチャな人が多いもの。
思春期に喧嘩したり勉強とか頭の中身はクソだけど友達やらとはいっぱいコミュニケーションとりまくって親にあんまり無茶すんなよと言われながらも女とかともいっぱい遊んでエロい事もいっぱいして。
そんなことを思春期に経験してない人間が社会に出たところがダイナミックに生きて世の中を楽しめる人間に成長できるとは思えない。だから思春期の時はもう思い切って迷惑かけまくるしかないんちゃうかなと実は思っていて。
昔みたいに社会は年功序列でもないしコミュ力なくてもお見合いで結婚出来る世の中でもなくなった。親や教師の頃はおとなしくいい子のまんま育ってもそれなりに生きられるけど今の世の中はサバイバルで強くなけりゃ何も出来ない世の中に変わってしまってる。
思春期にそんな無茶をしてたら大人になってからはタガが外れる事はなくなるからね。経験値を積んでるから。そういう経験をした事ない子は一回も経験しないまんま大人になってしまう。拗らせたまんま大人になる。
長い目で見たら思春期の時に迷惑かけた事なんて短い間やからね。大人になってからはなかなかそんな無茶な事出来ないし。いい子でおったその反動で大人になってからワルさして迷惑かけるくらいなら思春期にやりたい事やってみた方がいいんじゃないかと僕は思ってる。