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ギャグ漫画とシリアスバトル漫画をヒットさせた鳥山明という漫画家について

今回は誰もが知ってる漫画界の巨匠生きる伝説の鳥山明さんについてである。調べてみれば調べてみるほどに驚く事ばかりである。

 

僕が1番感心してるのはギャグ漫画とシリアスバトル漫画を現役時代の全盛期にヒットさせた件についてだ。ギャグ漫画はDr.スランプ。シリアスバトル漫画はドラゴンボール。いずれも世に知れ渡る名作である。

 

そもそもギャグ漫画畑の人が全く毛色の違う路線の漫画を描いてそれもヒットさせるというのが稀なのだ。Dr.スランプを見ればわかるがその頃はゴリゴリのギャグ漫画路線を進んでいた。

 

ギャグ漫画家の寿命は短いというのは定説になりつつある。ほぼストーリーなんてあってないようなモンで毎回ネタを消費して1話完結で相応のクオリティーを確保しないといけないのは至難の業だ。

 

ドラゴンボールも最初はDr.スランプのギャグ路線のヒットを受けてその路線で行こうとしていたように思える。実際に鳥山明さんも描きたかったのはバトル色全開の天下一武道会以降の感じより初期の1話完結ゆるゆる漫遊記みたいな路線だったのだろう。

 

しかしジャンプの編集部が待ったをかけたらしい。ドラゴンボールはかなり編集部の手が加えられて路線変更をさせられる。ドラゴンボールに限らずジャンプ黄金期と呼ばれる80年後半から90年代のジャンプ漫画は編集部のテコ入れが入ったと聞く。

 

たとえばスラムダンクもバスケ路線を残しながらそれがヒットしなかったら不良漫画にシフトしようと保険を打っていたと聞く。幽遊白書も初期のほんわかストーリーからいきなりバトル漫画に路線変更してヒット。などジャンプ漫画は編集部に手綱を握られていた。

 

このドラゴンボールも例に漏れず編集部に路線変更を検討させられた。1話完結の漫遊記みたいなのではヒキが弱いと思われたのかも知れない。主人公に修行をさせてバトルトーナメントに参加させる流れに持っていったと聞く。

 

現にそれにしてから物語が締まって目的がハッキリしたと思う。それ以外にも当時のジャンプ編集部は鳥山明さんにかなり色々注文をつけてダメ出しをしたというのがインタビューや記事なんかで残っている。

 

んで編集部のダメ出しがなかったら今よりはヒットしてないかも知れないと僕なんかは思う。割ときちんとコンサル出来てたんだなと驚かさる。そりゃ鳥山明さんが描きたかった元の形とは違うかも知れないけど。

 

鳥山明さんの天才なところはダメ出しを受け入れながらも要望に答えて100点もしくは120点くらいにして返して期待にキッチリ答えるところだ。初期設定からゴリゴリに路線変更されたからストーリーなんてあってないようなモノだったと思う。

 

お得意のギャグ路線も封じられながらも畑違いの路線の漫画を描いてそれでもそっちの方でも対応してきちんと売れる漫画を描いたのは凄い。これはなかなか出来ない。しかもほぼアドリブのライブ感満載のストーリー展開で。

 

でも葛藤はあったと思うんです。売れなくても自分の描きたいものを描けるのがいいか自分の描きたいものじゃなくても売れるものを描くのがいいか。どちらが幸せなのか。編集部に実権握られてたんで選択肢はなかったかも知れないけれど。

 

僕自身の見解を述べるなら僕はやっぱり自分の描きたいものより売れるものを描いた方がいいと思う。それは漫画に限った話ではない。世間が求めていて欲しいものを提供した方が絶対にいい。

 

独りよがりのマスターベーションで終わるのは良くない。誰も求めていないものとかその人だけしかわからないようなものを出しても仕方ない。僕もそうしてる。ブログでも自分が書きたいものよりは読者が読みたいものを書いているつもりだ。話を戻そう。

 

かくして毛色の違う漫画2作を1人の作者が世に残した稀有な漫画家として後世に語り継がれるであろう。漫画界に革命を起こした天才が鳥山明さんなのである。