引用させてもらうが昔ジャンプにアウターゾーンという漫画が載っていた。世にも奇妙な物語の漫画版みたいな。その中に冴えない運動オンチの今でいう陰キャ系男子キャラが主人公だった回がある。
単行本でいうと6巻に収まっているはず。ゲームだけは得意だけど他には何の取り柄もない男子が最終的には驚きの姿になる回である。漫画として描かれ方が1話完結なんでボリューム的には物足りない。深掘りすればもっと面白くなっただろう。
で、今回言いたいのはアウターゾーンの紹介じゃなくてアウターゾーンの連載の頃だった90年代はこの男子キャラのように学校で居場所がなかったらほぼ全てが終わりな時代でもあった。その前の80年代もそうだったかな?
今でこそ色んな考え方が普及してきていて不登校っていう選択肢が親の方でも認識されたり学校だけが正義って考え方も少しずつ変わりつつあるのかなと感じる。もちろん学校行く事ができるのであればそれにこした事はない。
ただアウターゾーンの男子みたいに勉強でつまづいてしまえばそこから先は目に見えている。学校の授業はその生徒の為に授業のスピードを緩めたり立ち止まってくれる訳はなくて置き去りにされながら学校というものは進んでいく。
自分が全然授業を理解できてない事を打ち明ける事が出来ないままそれが成績に反映されて出来ない男子のレッテルをはられてまわりにバカにされる生徒になってしまうのだ。
さらに運動オンチであれば集団行動を要求される学校の中では悪目立ちしてしまう。学校の中でももてはやされ女子からも羨望の眼差しを受けるのは運動ができる男子である。運動オンチな男子は女子から笑われ男子からはあいつ邪魔と邪険に扱われてしまうのだ。
そんな状況になり学校に居場所がなくなった生徒でも親の認識か昔の時代はそれでも学校に行けという選択肢しかなかったように感じる。学校に行けというのは学校の中でも努力して普通の生徒たちと同じ成果を出して来いという意味であろう。それが出来るならとっくに出来てる
とっくに学習を初手から見失なって運動という人によって個体差が出るものでも普通の生徒たちと同じ戦いをして勝ち目なんかない。もうこうなるとみんなと同じところから学習するのはやめてレベルを下げてもう少し下のレベルのところから学習して自信を取り戻すしかない。
さらにアウターゾーンの男子は学校の授業ではなんら得意なものを発揮出来なかったがゲームだけは人よりかなり得意だった。昔の時代はゲームが得意でも将来的になんの意味ないというのが親も教師も世間からも主流な考え方になっていた。
今でこそeスポーツというものも認められてゲーム実況配信を仕事にして食べることもやろうと思えば可能である。こんな時代にアウターゾーンの彼も生まれてきたらこんなに苦労することなかったかも知れない。
学校で落ちこぼれたら昔は本当に終わりだった。今は学校以外に居場所を作りやすいし選択肢が広がった。長い目で見れば学校で落ちこぼれてたことなんて人生でたいしたことない。だけどあの頃は学校こそが自分の世界の全てだからそこで成果出せなかったら自分というのは生きる価値のない人間なんだと思い込む。
学校で落ちこぼれたというより僕はそういう子は成長がちょっとまわりより遅いだけだと思う。だけど確実に成果は出せるようになれるし成長は出来る。親御さんも教師もそんな子を見限らないで欲しい。