ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

思うようにいかない老後の話。僕は第二の人生をどう生きる?

僕の年齢的に年上というか現役引退した人の話を聞かされる機会が多いのよ。やっぱり思うようにいかないらしい。1番はこんなに暇だと思わなかったという話。やっぱり暇なのである。

 

僕も平日に行った事あるがパチンコや競艇に朝から晩まで張りついてるおじいちゃんがいるけど何をしてるんだかと思う反面やる事ないんだろうなと思って可哀想になる。もしくは図書館で新聞読みふけってただ時間潰してるだけのおじいちゃんもいる。

 

あとたまにいるのが現役時代に奥さんや子供に冷たく当たっていたくせに引退したら急に奥さんや子供に優しくして旅行や遊びに行きたいと願う都合の良いおじいちゃん。

 

でも奥さんや子供はとっくに嫌がっていてアンタと旅行いくくらいなら友達と旅行行くと煙たがられるのがオチである。ホンマ悲惨よね。引退するまで旅行とか我慢してていざ行けるようになったら行く相手がなくて。

 

それとか現役引退したらラーメン屋をやるんだと現役時代は一切修行してないのに老後になってから退職金を注ぎ込み急に店を構えたけど自分に全然向いてなくて売り上げも上がらずすぐに店を畳む事になった話とか。

 

いやあ、前途多難よね。全くのシュミレーション不足で老後に突入してこんなはずじゃなかったという話をいっぱい目にする。手前味噌だけどうちのオカンも暇で暇で仕方ないらしい。

 

朝からパチンコに行くおじいちゃんも無趣味で家でじっとこもっているおばあちゃんも老後の人生はこれで本当にいいのかと悩んでると思うよ。

 

僕が思うに現時点での解決策は社会貢献と若者と会話というのが鍵だと考えている。

 

結局、現役引退したあと旅行するんだとか朝から晩までパチンコするんだと息巻いてもそれって消費行動なわけで。心からの充足感は得られないと思うんだ。蓄えを食いつぶすだけだし。

 

真に満足感を得られるのは社会に自分が必要とされる事で社会の活動になんらかの形で参加することではじめて充足感が得られるわけである。現役時代にしんどかったけど充足感が得られていたのは会社に通っていて会社に必要とされていたからだ。

 

それは仕事でなくてもいいと僕は思う。たとえばボランティアに参加したりするのでもいいと思う。なんらかの形で社会に貢献することで僕らはまだまだ生きていていいんだなと実感できるのだ。

 

パチンコや一日中家にいて楽しいわけなんてないやん。それがアカンとは言わないけどそんなことするために現役時代に頑張ってきたわけじゃないやんか。人に必要とされて感謝されるために居るわけやん。それにそんなことしてたらボケるだけだし。

 

あとは老人だけと関わっていると気持ちが老ける一方だからなんらかの形で若者とか子供と関われたらベストだと思う。ボランティアで繋がるとかでもいいしあるいはバイトしてみて繋がってみたり。

 

ほいでボケないために毎日会話する。TVに張り付かない。誰と会話するってのも難しい話だけどそのへんはかなり工夫が必要かも知れない。

 

せっかくの第二の人生を時間を潰すためだけに生きるのはもったいないと僕は思う。とはいえ机上の空論に終わるかも知れないからなんとも言えないけど。僕はこんなふうに考えてる。