ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

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大人になればなるほど本を読んだり勉強しなくなる日本人

「遊んでばかりいるとバカになるよ!」と子供の頃に注意された事ないだろうか。そう。大人たちは子供に対しては勉強しなさいとか本をよみなさいという呼びかけをしている。理由は学校の成績が悪いと内申書に響いて試験の時に不利だから。

 

学校の授業や行事に子供が熱心に参加して時にはあまり興味がないけど内申書に響くから部活に参加するのも全てはいい学校に入っていい会社に就職していい生活を送りたいから。

 

そのいい学校とかいい会社とかの定義はあまり議論される事はなくてとにかくそこに対しては思考停止でいい成績を取れば良い事あるぞと大人たちは教えていく。そこに疑う余地なく子供たちも乗っかってしまう。

 

いつのまにか学問っていうのも本来の意味を失って重要なのはこの教科のこのページは試験に出るのかどうか暗記するに値するかが子供たち側としても最重要になってしまう。

 

いつしか先生と生徒との間にもビジネスライクな関係が出来てるような気がする。受験に関係ある事を教えるだけの側と受験に関係ある事だけを吸収しようとする側。先生が和ませようと授業に関係ない事を話そうもんならそれはテストに関係ありますか?みたいな問いが出るような皮肉が生まれる。

 

なんつーか学問って受験戦争を切り抜けるための銃弾や武器に成り下がってるとしか思えないんよね。戦争を終わらせるためにいっぱい装備して終わったら用済みかのようにどこかに捨ててきて。それを大人もまわりも容認して。「よくやった。もう戦争はいったん終わりだ」みたいな。

 

まあそれでなくても日本人は学問の時代を終えて社会人になると長時間労働だったり疲れていて本を読む機会や勉強する機会がめちゃくちゃ減ってしまう。その割には時間さえあれば遊んでる大人も多いような気がする。疲れているんじゃなかったのかな?

 

子供の頃に受験戦争の道具として本を読んだり勉強したり散々してきてトラウマになって大人になってからはやりたくないという人も居ると思う。単純に勉強が嫌いになってるというか。

 

あとは本を読んでも年収アップに繋がらないというのもあったりもするかもしれない。どこまでも人間というのは実益を得られないと動けない生き物である。このあたりはいずれ別記事にしてみる。本を読んでもすぐに年収アップしたりする即効性はないけど読んだ方がいい理由みたいな話で。

 

かくして日本人は受験戦争時代はガリ勉になって切り抜けるけど勉強が直接関係ない社会人のステージになってしまうともう要らないと放置する大人が多数派になる国になってしまった。学問というのがペーパーテストでいい成績を取るために置き換わってしまったのだ。

 

僕はこの現実をめちゃくちゃ悲しく思う。僕もそんなに優等生ではなかったし好きな教科と嫌いな教科の差は激しい。だけど知りたい事は今でもアホみたいに時間かけて調べる。

 

そのための時間とお金とかのコストは大変だ。だけど勉強したら松明を手にしたみたいに目の前がちょっとだけ明るくなる。本来の学問ってこういう事だと思う。知ることの本来の意味は楽しくて強くなるためである。

 

大人が子供に対して勉強を受験のためのテクニックとして必要だから頑張れみたいな認識で大人になったら必要ないとアグラをかいてる現状を嘆かわしく思う。大人も子供も知ることを楽しいと思って空いた時間をお互いに勉強してる国になったら世界から取り残された現状をもっと盛り返せるのだろうになとチラッと思ってみたりするのだ。