ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

令和の時代の人間関係の話。もっとドライな関係の方が幸せかも知れない

ぶっちゃけた話をしてもいいだろうか。僕は社交的でガサツで人間関係でも悩みないと思われてるんじゃないだろうか(そうでもないか)実際には僕は臆病で繊細な人である。めちゃくちゃ気にする人である。

 

現にツイッターで知り合った人でも一回しか会わずにその後誘ってもいい返事をもらえなくて縁がなくなって2度と会えなくなった人もいくらでもいる。それに対して傷ついていないわけではないし気にしてる。

 

ただ自分からこのブログでも口にしていたがそれも覚悟の上である。簡単にツイッターで繋がったけど合わなくて会えなくなったなんて知ってての事である。まして僕は性格がマメじゃないから人のツイートにリプするなんて事も稀だしすることが少ない。

 

そう今回テーマにしたいのは人間関係の話である。僕はこれからの時代の人間関係はもっとドライであってもいいと思っている。

 

たとえば毎日のように同じ会社で同じメンバーと顔を合わせて何十年も一緒に仕事していたとしよう。そのメンバーとは長い時間を過ごして一種の絆が出来てるように思えるかも知れない。

 

ただそれは幻想というか同じお金を稼ぐ目的で集まった集合体に過ぎない。現に明日から定年退職で会わなくなったらそんな絆なんてすぐに薄まるように出来ている。3日も会わなきゃ顔を忘れるしそんな利己的な風に出来てるのが人間の心である。

 

それ自体は悪いことじゃないと思う。大事なのは執着しない心じゃないだろうか。昭和の時代は人情味が溢れていて良かったという意見も聞く。それも真理だろう。人情味がなけりゃいけなかった時代だとも言える。

 

昭和はとにかくモノがない時代。モノをたくさん生産して人口を増やす必要があった。そのために有無を言わせず若い男女を親や周囲は結婚させて子供を増やして労働して儲ける必要があったのだ。

 

簡単に人と人の結びつきが崩れないように社会も国も制度とかでそうしていたように見える。昔は会社も運動会や遠足や行事を盛んにして絆を大切にしていたのだ。そしてモノも潤ってそこまでモノを生産する必要がなくなり人の絆も希薄にはなった。

 

制度やなんかで人と人とを縛る必要がなくなったのである。そこまで人口を増やす逼迫した状況じゃなくなり結婚もしたい人がすればいいような贅沢品に近いモノになりつつある。

 

だがそれが本来の人と人との在り方じゃないかなと僕は思う。人と人がくっついたり離れたりするしいとも簡単に関係が崩れたりするような繊細なモノが人間関係だったりする。

 

結婚したからとか付き合ってるからとか兄弟だからとかで縛るから辛い時があったりする。裏切られていつも傷ついたりする。最初から期待しなけりゃ楽になる。

 

最初のツイッターの話に戻るが僕は去る者追わずで会えなくなった人には追いかけるつもりは毛頭ない。ただ縁がなかっただけだ。未だにまだ繋がってくれてる人の縁に感謝してる。それだけは言える。