ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

大人になって見方が変わった漫画やアニメキャラ

子供の頃はイマイチわからなかったのが大人になってわかるコトがある。食べ物の味覚だったりモノの見方だったり。今まで平面でしか見てなかったのを立体で見れるようになったみたいなオドロキである。

 

漫画やアニメに出てくるキャラも子供の頃はないわコイツーみたいなキャラが大人になってからはああそういう事かーと妙に納得するというかこのキャラもまんざらおかしな事言ってないと思わされる。そんな大人になって見方が変わったキャラを紹介する。

 

まずは見方が変わったテンプレのような有名なキャラ。火垂るの墓の清太のおばさんだ。子供の頃はどうしても年齢が近くて主人公補正で主人公目線で見てしまうから清太を言葉でグサグサと刺してくるのが気にいらなかった。

 

おかゆをよそう時も自分の血の繋がった子には米を入れて清太や節子には汁ばかり入れてる描写がありなんて嫌なおばさんなんだとイライラさせられた。挙げ句に清太たちが出ていく事になった。原因を作ったのはおばさんやんと当時はそんな見方だった。

 

大人になってちょっと変わったのはおばさんサイドの方の立場もわかるようになったのが大きい。どこかふわふわしてファンタジーの世界に僕自身も生きていたから現実が見えてなかったが普通に考えて親戚の子を家に招き入れるってけっこうな事よね。

 

それだけでも助けられてるし清太が働いてなくてもガミガミ言うけど追い出すまではしないとてもいいおばさんである。かたや清太はまだ敗戦した現実を受け入れられない。現実逃避してまだ逃げてばかりいる。

 

妹のいる手前、虚勢を張りたかったのかそんな描写が見られる。現実を受け入れてプライドを捨てておばさんに謝って心を入れ替えれば生存ルートもあったのかなと思わされる。

 

次のキャラはドラゴンボールから。孫悟空の嫁で悟飯の母親であるチチ。ドラゴンボールをリアルタイムで見てたのは中学生くらいだからどうしても主人公サイドというか戦っている孫悟空や悟飯に肩入れしていた。

 

このチチは悟飯がナメック星に行きたいとか修行したいとかいう意思をしょっちゅう妨害するのだ。母親だから当然だが子供心にいいところだから邪魔するなといつもイライラさせられていた。

 

大人になってから見たらチチの言う事もまんざら間違いじゃないなと思うようになった。確かに普通の子として育てたかったはずなのに戦闘民族やら訳のわからない異星人と戦わされたり大人ばかりに囲まれて過ごしたら普通の子には戻れないかもと考えさせられる。

 

悟飯を戦力として育成する悟空と普通の子として育成したいというチチとどちらがマトモなのかは今見たら一目瞭然である。物語的には悟飯に戦力をつけさせたのは大いに正解だが。

 

最後に紹介するのはまたドラゴンボールだけどミスターサタンである。これも子供の頃は主人公サイドをずっと見てきてるから漁夫の利的に美味しいところを盗んで悟空たちの凄さを認めないのは許せなかった。

 

そんなに手柄が欲しいなら悟空たちみたいにコツコツ修行して追いつけよといいカッコばかりしてミスターサタンに苛立ちを感じた。

 

大人になって見方が変わったのは実際に一般人というか普通の格闘チャンピオンとして悟空たちを見たらどうだろうという視点である。確かに空を飛ぶはエネルギー弾を手から放つわ身体が再生する敵を見たりしたらトリックだろと思うのは当然だなあと。

 

ミスターサタンは一般人としたら充分強いと思う。次元の違う悟空たちが異常なのだ。その異常を見せられてそう簡単に受け入れられないのも当たり前の反応だろうなと。そういう意味ではミスターサタンの反応はリアルで現実的だ。

 

戦闘力こそが正義だと単純な子供の頃は思っていたし僕もそれに洗脳されてた。戦闘力のないミスターサタンは引っ込んでいろと戦闘力教に当時は信仰していた。

 

ただ世の中は単純なチカラ比べだけじゃないなと僕自身も自分の人生を通じてわかった。子供の頃ケンカが強かったり足が早いヤツが大人になっても天下取るかと思いきやそうでもなかったり。要するに立ち回り次第でどうにでもなる。

 

現に戦闘力で叶わないミスターサタンはサタンなりに魔人ブウ編で活躍を見せる。脳筋で自分の強さだけで物事を解決しようとするZ戦士が多い中で戦闘力とは違う自分の持ち味を生かしていく。

 

そんなやり方もあるのかと感心させられると同時にチカラだけで解決できると思っていた子供の頃の自分の物事の見方を改めさせられるのだ。今回はこんなとこで。