ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

わたしは〇〇やってあげたのにあの人は何もしてくれないみたいな期待をしたら苦しくなる

僕は常々思うんです。人に優しさとか親切にするなら見返り求めちゃいけないなって。もしくは人が自分の思い通りに動いてくれるだろうみたいな傲慢なのは駄目だなって。

 

たまにわたしはいつも〇〇さんにこれだけやってあげたのに〇〇さんは何もしてくれないとか怒っている人を見かける。

 

もしくはこうやってくれると思ったのにしてくれなくて腹立ったみたいな。例で言えばお金も時間も彼女に投資したのに何も返してくれなくて突然別れを切り出されて逆恨みとか。

 

とはいえ僕もあります。自分の部下が普通に考えたらコレをするはずなのにしなかったりとか指示を出してやって欲しかった事を忘れていたりとか。

 

しかしまあ短気は損気というか一旦は飲み込むようにしてます。部下に期待するあまりに怒鳴り散らして胃に穴が空いた人も知ってるし。部下にも言い分もあるだろうし。何よりそこまで高い給料をもらっていないのにそこまでのクオリティーを求めるのが申し訳ないというか。

 

7つの習慣って本にもあったけど影響の輪っていう自分ではコントロール出来ないものがあるってのを認識するのが大事らしい。

 

例えば街にいる不良や暴走族を撲滅したいと思っていても自分の影響ではどうにも出来ないよね。自分の影響力の枠を超えてるから。だけど世の中の人は自分でコントロール出来ない問題にエネルギーや時間を使いがちだ。

 

わたしはこんなに頑張っているのにまわりは何もしてくれないとか評価されないとかわたしがモテないのは世間が悪いからみたいなそんな自分がコントロールできない事に執着して期待するから頭にくるのである。

 

他人に対しての期待という呪縛を是非解けるように頑張りましょう。自分が望んでいた事を他人がしてくれなくても気にしない。ほいで献身的に何かしても返してくれなくてムカつくとか思うくらいならはじめからしない。

 

ムカつくって事は何か見返りみたいなモンを期待していたからだと思う。ホンマに人に施す優しさは親切さは忍耐です。すぐに折れてムカつくくらいならやらない方がマシ。

 

昔のインドで修行僧が身体の一部を他人に施して供養したけど要らないと道に捨てられてキレた修行僧がせっかくの成仏への修行を途中で投げ出したというエピソードもある。閑話休題

 

他人や家族、友人や恋人に過度に期待せずに優しさを施すなら見返りを求めないようにいきたいモンですな。それに人に対して感謝があれば望んでいた事をしてくれなくても怒りにはならないはず。どこかで自分で他人をコントロールできると思っているから腹立つんじゃないだろうか。