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松本人志監督のしんぼるについて今さら語ってみたぞ

松本人志監督のさや侍の記事

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というわけで今さらながら2009年の映画しんぼるについて今さら語ってみる。結論から言えば松本人志監督のこの映画は技量のない映画監督が大技を繰り出そうとして失敗した例である。傑作になり損ねた佳作と言ったところだ。

 

発想と話の持っていき方は面白いだろう。流石は松本人志監督といったところ。軽くストーリーに触れるとメキシコのプロレスラーが試合前に家族と過ごしているパートと松本人志監督自身がパジャマ着て演者として白い部屋に閉じ込められて脱出を図るパートが同時進行で描かれている。

 

このパジャマ男が何故閉じ込められてるかはわからない。だが脱出したがっているらしい。パジャマ男のいる部屋に脱出を図るためにトリガーとして子どものポコチンを模した"しんぼる"が現れる。これを用いて脱出せよという映画なのが示される。

 

このパジャマ男がなんていうか芸人松本人志そのものなのだ。これが観ていてつまんないというか既視感ありすぎて新鮮さが全くない。松本人志色を払拭するために前作大日本人でも彼はロン毛にしていた。今回もやや長いおかっぱヘヤーだが松本人志色は拭い切れてない。

 

ただの芸人松本人志がズラをつけているだけなのだ。コントやらで散々擦ってきた扮装となんら変わらない。このパジャマ男がポコチンを押すたびに寿司が出てきたり殺虫剤が出てきたり小ボケをはさむが脱出になんら関係ないアイテムばかりでツッコむという塩梅だ。

 

寿司食ったあとにポコチン押して醤油出てきて遅いわーとツッコむ感じで要するにこのしんぼるはどこか一個ズレてるのだ。マンガが出てきたが足りない巻があったり。それにツッコむのだが芸人松本人志がチラついてあまり面白くないのだ。

 

そもそもパジャマ男は芸人でもないのにこんなに間もバッチリでプロ並みに的確にツッコめる時点でついていけない。となるとこのパジャマ男は芸人松本人志そのものとしか見えなくなる。

 

比較としてわかりやすいので北野武監督と比べてみる。彼はビートたけし名義でバラエティー番組に出る時はよく扮装しておバカなピエロになりきる事が多い。ビートたけしの時は陽気なオモロいオジサンなのだ。

 

だが映画として北野武監督になると一変する。彼は自分で出演もするがその際には扮装せずに素で登場する。つまり松本人志監督と逆である。素で現れて一切ギャグもしないし怖くてバイオレンスで緊張感バリバリで出てくるのだ。

 

北野武監督がそうして意識して普段とは全然違う自分を出すことでこれは映画でコメディアンビートたけしとは全然違うんだなと一気に引き込まれてしまうのだ。その落差というかギャップに惹きつけられるのだ。

 

だがこのしんぼるにはそれがない。普段とのギャップもない。だからかわからないが後の映画に松本人志監督は自分で出演していない。2作作って芸人色を払拭できずに諦めたのか定かではないが。

 

あとはレスラーパートとの連動の必要性が感じられない。白いパジャマ男のパートだけでは間が持たないと感じたのかレスラーパートも進行されるが大きなうねりを起こすほどではない。

 

賛否を巻き起こしたパジャマ男が全然関係ない映像を挟みながら神になるラストに向けてのシーン。サブリミナルかなんの効果を狙ってからわからないが僕はたぶん挿入された映像は何の意味もないと踏んでいる。

 

それとなく壮大な感じにしてオチを畳むのに逃げたのだ。途中のポコチン押してボケたりツッコミするやつがやりたかっただけである。なんとなく大技を繰り出してるように見せてるだけだ。そうしたら映画っぽく見えるからという安易な発想である。

 

そういう荒っぽさや雑さや演者のギャップのなさがマイナスポイントである。前作の大日本人よりは映画っぽさは出てるがそこまでである。映画っぽいだけで映画とは言えない。そんなわけでしんぼるは傑作になり損なった佳作なのである。

 

もうちょっと他の映画監督から勉強したり映画の基礎を学ぶべきである。勉強もせずにオレなら出来ると根拠なしに映画を撮るのは傲慢そのものだ。