こないだ姉ちゃんと話していて価値観の違いで学んだ事があったってハナシなんだけど。あ、一応その記事貼っておくか。その記事まだ見てない人もいるだろうし。
ということなんだけど。これに付随して僕が一眼レフカメラで色々写真撮ってるのを見せたんよね。んで面白い自販機とか食べ物の写真とか僕が撮ってるのにSNSやってない姉ちゃんが言及してきたのね。
えーっと…ツイッター有料化の話となんの関係あるのかと思われるかもだけどまだ前振りの段階だから待ってておくんな。姉ちゃんにこれを言われてハッと気づいたんだわ。
そうか、SNSやってないとそうなるかと。じゃあ僕が面白い自販機や食べ物の写真を何故撮ってるのかというのとツイッターの話を絡めて説明しよう。
ツイッターやってる人はわかると思う。たとえば街中で珍しいものとか見たり野生の鹿を山で見かけた時に写真撮って身内とか家族とか彼女や友達とかにこんなん見たんやけどすごくない?とか言いたくなるやん。
んで姉ちゃん夫婦はSNSやってないからその珍しいものや面白いのを写真に撮って反応を問いかける範囲があくまで身内とか家族うちで収まっているって話なの。やってる事は同じ。
僕らツイッターやってる人も構図は同じでよくツイッター上で絡んでいる人や身内向けに一応見てもらえたらいいかなと思ってその珍しいものや面白いものを投稿してさらに広範囲に対して反応を問いかけているわけ。
ほいであんまり絡んでない人からも反応来たりしてそれはそれで嬉しい誤算だからやめるにやめれないわけ。SNSやってる人の構図ってたぶんこうなっていると思う。かなりの広範囲の人にこんなん見つけたんやけどどう?を僕らはやっているのだ。
とはいえそれを身内だけでやるならLINEで個別にすりゃツイッターとか要らないじゃんって思われがちだがそうじゃない。山で野生の鹿を見かけたとかならこんなん見つけたんやでと1人1人に送ってもありだと思うけどそこまでに至らないけど人に見てもらいたい軽い投稿とかもあるやん。
それにLINEって相手に送りつけて相手もそれ見なきゃいけないし相手の時間を無自覚に奪っていたりしてウザかったりするやんか。しかも微妙な投稿とか自分にとって刺さらない反応ならなんか反応しづらいやん。
そこでツイッターやら各種SNSが役に立つわけですな。アレは名目上だが勝手に投稿してるわけであり誰に宛てたモンでもない。フォローしてれば勝手に見れるわけである。ほいで身内であれ絡みが少ない人であれ刺さる投稿があれば勝手にこちらが反応したらいいわけ。
逆に内輪というか仲良い人でも自分には合わない内容なら反応しなきゃいいわけ。その気楽さというか心理的に楽なのが流行ったというかここまで広まった理由ではないか。僕は姉ちゃん夫婦から僕に素朴な疑問を投げかけられて改めてツイッターの意味を考えさせられた。
その上でおあつらえ向きにというかツイッター有料化の話題である。ネガティヴにとらえていて有料ならやらないという意見も噴出してるようだ。それもそれでいい。
ただ上記のようにLINEで個別にやってたんではどこか綻びるというか疲弊する気がするしダルい。僕はツイッターのもつ気楽さや拡散力を料金払って買ってると考えたらもうちょっと腑に落ちるかなと考えてる。
そりゃ無料でその恩恵だけをあやかろうというのはどうにも虫が良い話かなあとも思う。散々今まで助けられたりいい思いしてるわけじゃない?いい思いした記憶ないんなら有料になったらやめたらいいんだけど。
有料になったから脊髄反射的に考えもナシにじゃあやめますとも思えなかったのだ。僕の場合は。今のところ有料になったからって即座にやめますにあっさり寝返る事はできないというのが僕個人としての見解です。