ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

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弱者男性という概念が生まれた背景と人が幸せになるには誰かが割りを食うという理由について語る。

世の中は差別される対象が巡り巡っているモノだと僕は考えている。そこで最近生まれた概念が弱者男性だ。ネットや5ちゃんねるで最近これについて調べまくってみんなの意見を見まくっているのだ。

 

弱者男性の定義も曖昧ではあるがチー牛とも似てるというか被っている部分はある。要するにコミュ障とか女性に対する恐怖とか低収入とか自信がないとかさまざまな要因で今を幸せに感じれない層というか男性である。

 

いちばんの悩みは女性にモテないとか結婚できないとか女性から馬鹿にされたトラウマとか女性に関する悩みではなかろうか。係長や課長を務めていても結婚できなくて悩んでる男性はよく見かける。こういうのも広義の弱者男性だろうか(そうなると僕もそうなる)

 

貧しいのは耐えられるが異性から相手にされないのはハッキリ言って男子にとってはかなりの屈辱である。女性にはサッパリわからないだろうが男性というのはそういう生き物なのである。女性でモテなくて落ち込む人はあまり見ないが男性でモテなくて落ち込む人は履いて捨てる程いる。

 

この弱者男性に該当する男性って例えば昭和とかにも居たのかと考えるんだけど僕の推測だがめちゃくちゃ居たと思う。ただこの頃の弱者男性も時代が良かったからどうにかなってただけの話である。このあたりについて書いた以前の記事も置いておく。

uosando.hateblo.jp

昭和の弱者男性とかコミュ障とかもお見合いとかで皆婚化が実現していたから普通に女性と結婚できて脱弱者男性が出来ていただけである。時代が良かっただけ。男性は無口で不器用でも全然オッケーな時代があっただけだ。

 

んで最初に述べたような差別される対象だったり割りを食うような対象が必ず時代によって生まれるという話になる。偏見かも知れないがこの皆婚が進んでた昭和の時代に割りを食っていたのは女性である。女性が圧倒的に弱者だったのだ。

 

ブロガーのちきりんさんも多分どこかで語っていたんだけど昔は女性は結婚できるかどうかが死活問題な時代があったと。今より女性が社会で活躍できる舞台があまりに少ない。大学に行かせる余裕もない。今みたいに実家にパラサイトなんで考え方はない。家を放り出されたら嫁ぐしか極端な話選択肢はない。

 

そりゃハッキリ言って結婚なんてしたくなかろうよ。どこの馬の骨かわからない男と。結婚ガチャなんてのがあれば間違いなくあの時代は結婚ガチャだった。

 

この時代に生まれたラッキーな弱者男性は難なく結婚できて弱者ではなくなっていたのだ。この時代の弱者は女性で割りを食っていたのは女性だった。みんなのまわりにも居ないだろうか?このオッサンよく結婚できたなとか自分の親父を見て結婚できた意味がわからないとか。

 

それは元々は弱者男性だった影がチラッと見えるのである。結婚すらできるはずのない層がなんか知らんけど結婚できていたという事実だ。この頃にはモテるとかモテないみたいな概念もそんなになかったのではないだろうか。

 

そんなお見合いや皆婚が終わりを告げて自由恋愛に入って割りを食っているのが弱者男性という手合いである。これは時代の必然というか流れだしこうなる事は予測出来ていたと僕は思うのだ。

 

この資本主義社会に弱者が生まれるのは必然である。その番が男性に回ってきたというだけである。これのややこしいのが全ての男性ではなくてあぶれた一部の男性が救われないという仕組みである。

 

対極にある強者男性というのが全てをかっさらってしまう。弱者男性には出番すらないというのがこの時代のややこしいところである。弱者男性はハッキリ言って昭和の皆婚時代に生きたかったと思うよ。でもそうなると割りを食うのがまた女性になるという算段だ。

 

ネットや5ちゃんねるの弱者男性が救済を訴えて我々に女をあてがえという意見までとうとう飛び出している。無茶な話だけど実際には救われたいのならそうだろうなとも思う。

 

弱者男性が救われるとしたら昔みたいな皆婚時代を復活させて何も努力せずにごっつあんゴールで嫁を貰ってタダでエッチして子ども作ってみたいなことしかないがそんなのは時代が許されないし何より女性が不幸な時代の再生産を招くだけだ。

 

今のまんま弱者男性が割りを食って女性と結婚できなかったりエッチが出来ないくらいで収まっている方がまだマシだと思うんだけどみんなはどう思うかな。