ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

僕が島田紳助さんや松本人志さんに物申してる時に僕も苦しんでいる

島田紳助さんに言及した記事。

uosando.hateblo.jp

松本人志さんに言及した記事。

uosando.hateblo.jp

連日のように松本人志さんのスキャンダルの件ばかりの記事になって申し訳ない。もっと違う記事を書きたいのだが書き足りないくらいなんで…

 

今回はちょっと違う角度からの話になる。そもそもの話、僕は熱心な松本人志信者である。島田紳助信者である。そんな僕が自分の記事で彼らをボロクソにこき下ろしてるのは矛盾してないかと思われそうなのであえて言う。

 

僕も信者でありながら糾弾してる時めちゃくちゃ苦悩してる。自分の心は傷ついている。それでも信者だからって私情を挟んだりせずに非人道的な所業に対しては徹底的に糾弾する。それは身内であろうと自分の心の師であろうともだ。

 

そうなのだ。僕は私情は一切挟まない。自分に恩がある人だろうと特別視はしない。そのあたりはドライである。信者なのに教祖を平気でボロカスに言ってしまえる。

 

僕のこの癖は友達と縁を切ったときに培われたのだと思う。僕にぞんさいな扱いをした友達に対して今後どうするか悩んだ。その友達を切ればその友達に近しい友達とも縁を切ってしまいかなりの友達を失う事に迷った。

 

だけど全部の縁を切る決断を下した時から僕は変わった。今まで好きだった人に平気で縁を切る決断をした際に好きだったからとか私情を挟まずに賢明な判断を出来た時点で僕は躊躇なく自分の感じた違和感や直感の方を大事にするようになった。

 

今まで好きだったのに裏切るなとか信者なら教祖がどんな時も応援しろよとか言われそうだが知るかよそんなのって話だ。信者だったら教祖がどんなのだろうが盲目的に崇拝しろというのはただの思考停止である。

 

それこそオウム真理教みたいのに入れ込んで事件を起こしかねない危険な思想である。自分がいた宗教が危ないと気づいたらさっさと去る決断を下せない方が余程危険だ。気づいていながら腐れ縁で離れられないのも同様だ。