大企業とかってコマーシャルでよく変わらなきゃとか変わる事を恐れるなとかスローガンで掲げるじゃない?日産とかも昔はイチロー選手をコマーシャルに起用してそんなこと言っていた。
まあ正直言って手垢がついた使い古された言葉だけどそのこと自体は間違っていないと思う。未だに大企業がカイゼンを重視して常に変わる努力をしてるのは生き残りをかけた戦略である。
実は企業だけでなく僕ら個人でもそうだと思う。年をとれば取るほど新しいことは覚えたくないとか邪魔くさいとかこれでいいじゃないという妥協点や安定感を求めがちである。
それで面倒くさくなってだいたいいつものお決まりのモノを食べてお決まりの場所で遊んでお決まりのパターンをこよなく愛して変わらない事を望み続ける。
でもそうやっていると魂が澱んでいくのがわかるんだよね。これだったら昨日と明日を入れ替えたって何も変わらない。死んでないだけで生きてるわけじゃない。
まあ幸せのパターンは人それぞれだしそれが幸せというのなら否定しない。僕はそれはイヤだし変わらなきゃと教えられてきたから何か自分の人生に変化を起こしたいと常に考えてる。
それはめちゃくちゃ小さな変化でもいい。自分にとっては大きな変化だ。昔、学校のプールで集団で同じ方向をぐるぐる回って洗濯という遊びをした記憶がない?
あの流れに逆らうのってめちゃくちゃエネルギーいるししんどいけどしんどいのも人生じゃん。人生なんて最初からしんどいって相場で決まっているわけ。流れに身を任せていたら楽かもしれないけど。
具体的に僕がどんな変化を起こしたかを書き記すと書ききれないが一部だけ抜粋する。
○姉ちゃんに支配されかけていて気にいらなかったからある日に反乱を起こして本気で怒鳴りつけて立場をびっくり返した
◯友人との関係で悩んでいたがバッサリと縁を切った。その頃はSNSもなく自分の判断が間違っているかわからず決断にかなり迷った。
◯このまんまじゃ卒業できないと単位取りに苦戦していたが心機一転させて無事卒業した。
他にも色々あるが最近だと上司に普通に忖度なく意見を言うようになった。僕はこう見えて繊細だがこの振る舞いをできるまでに長い時間を費やした。
どれも他人から見たら小さな変化だが僕が何かを変える決断を実行をした後には運命の歯車が回り出す音がいつも聞こえるのだ。そのまんま変わる事を恐れていたら何も変わらなかったのだろう。
生きることは戦いと評した偉人もいるけどまさにそうだと思う。ダイエットに挑戦したり資格に挑戦したり痛みや恐怖は当然着いてくる。それも生きてる証なのだ。
何か小さな変化を適切なタイミングで勇気を持って実行することが大事なんじゃないかなと僕は思う。