ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

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一夫多妻が許されないもしくは成立しない理由について考える

一夫多妻は今後、国が認めるのかという予測をしてみるが今のところ認められる未来は全く見えない。たぶん未来永劫認められることはないであろう。その前に僕は別に一夫多妻を推奨はしてない。

 

だが男に生まれてきて男側が一夫多妻的な社会的なタブーを好み法で規制されないならそちらに流れてしまうであろうことくらいはわかる。

 

僕たち男は元々は遺伝子という自分のコピーを残そうと必死になってやろうとする生き物でありそういうふうに古代から決まっている。

 

橘玲さんの"言ってはいけない"という本にこのあたりは詳しく書いてある。男は精子を放出するのにたいして労力がいらないのである。これはたくさんの異性と交尾するためにノーコストで楽に放出できるようになっている。そのかわりに相手探しに困難になってる仕組みである。

 

かたや女の方はノーコストなわけはなくてかなりの長い期間身ごもったりするわけで簡単に子ども作ろかとならないわけである。それこそ簡単に考えられたら女性から総スカンだ。なのでどうやっても女が男を選り好みする側だ。

 

この一夫多妻理論は動物社会では存在しうる話でだからって人間の世界には持ち込むのは倫理上難しい。だが本質的には男は1人の女性を長く愛するように設計上作られてない。

 

1人の女性とセックスできる限界ってのは悲しいかなあるのだ。男というのは同じ相手といつまでもセックスできる回数は限られてくる。自分を騙して相手のためにセックスすることはできるかも知れないがそれはほぼボランティアに近いと言ってら言い過ぎだろうか。

 

動物の世界でもオスが1匹のメスと交尾したとする。何回か交尾を重ねてくると飽きてきてメスが求めてきてもオスは無反応だったりする。そこに新しいメスが入るとオスは新鮮なので新しいメスと交尾したくなる。

 

具体的には何回も交尾したメスは充分にコストを割いたのでこれ以上はしたくないというオスの拒否反応がレスの原因らしい。そこに新しいメスが来たらまだコストをかけてないからそっちに行こうかいとなる非常に自己中なプログラムである。

 

こんなのを我々人間も地でいくとどうなるか。ぶっちゃけた話、養育しないで済むんなら自分の遺伝子をたくさん残したいのだ。そのために1人の女性でやってたんでは間に合わなくなるのでたくさんの女性と関係を持とうとする。

 

ほいで色んなところに種だけ蒔いて面倒な養育だけは女性に任せてしまいどの女性とも責任取らず知らん顔で居られるならそんな男が次から次へと誕生してしまう。動物の世界ではそれは通用するか知らないがそれでは社会は破綻する。

 

というより女性の人権の意味で絶対的に許されない。男にも平等に背負うモンは背負わせなさいということで今の一夫一妻制は成立してるんだなと思う。

 

もちろんセックス抜きにしてプラトニックな関係でいればそんなに一夫一妻で困ることはないと思う。その方が穏やかで長く仲良く居られるのは間違いないと思う。

 

ところ僕が思うに一夫多妻は許されないと言っても現状は結果的に一夫多妻に収まってしまってる状況がなきにしもあらずだなと。それが強者男性と弱者男性の問題である。

 

そもそも弱者男性と言われる層はそんな性に関するスタートラインに立ててもいなかったりする。本人がそれを望んでいない場合もあるし望んでいてもできないし蚊帳の外だったりする。

 

かたや強者男性と呼ばれる男性は割と強引にこの問題をクリアして次から次へとゲーム感覚で女性と関係を持ってしまう。まあそんな関係なんで長続きしなくて結婚してもすぐ離婚したりする。

 

離婚するならまだしも子ども作ってその親権は女性が持つパターンが多かったりする。ほいで中には養育費支払いから逃げてまた違う相手と子どもを作ってそんなことを繰り返してしまうのだ。

 

結果的には一夫多妻に近いようなことを強者男性と呼ばれる男性がやってしまったりする。弱者男性はそもそもそれに参加してないからほとんどは強者男性がやってしまってるのである。

 

世に言うシングルマザーが増えているしシングルマザーの貧困が問題になっているが強者男性が全てとは思わないがそうやって強者男性が女性を蹂躙してきた結果がこれではないだろうか。いかに女性を幸せにしてあげれてないかがわかるだろうか。

 

そしてその状況は分断を生んでいる。ミソジニーフェミニズムや極端な思想に陥って互いが互いのことを理解できないまんまでいる。