発信活動を続けること2年が経ちました。発信の場所がツイッターからブログに重心が傾きつつあるのがちょっと懸念ですが。ツイッターのフォロワーさんと交流出来てないなあ。イラストも描く間がない。とはいえ1日は24時間。物理的に無理なモンは仕方ないのかなと開き直っている。
最初はめちゃくちゃ怖かった。こう見えて小心者の僕が自分の本心を発信して理解してもらえる人がいるのだろうか。たまにお叱りをもらうんじゃないだろうかと懸念していた。
なので1年目から2年目にかけては無難な発信しかしなかった。ブログの数字としてはイマイチだったけど波風たたずにゆるくやらせてもらえた。だけどなんか違うなとどこからか気づきだした。
こんなに毒にも薬にもならないまとめサイトみたいなノリのブログ作ったところで何になるのか悩みだした。そこからの葛藤から一気に開眼するまでにはかなりの時間を要した。
そう、今までの自分は空気を読んでいた。空気を読んで群れているのは楽だ。孤高になるのは辛い。誰も味方がいない。だけど僕の本心だったり心から思ってる事を発信出来ないってのが1番の不幸だなと心から思った。
もちろんアクセス数が欲しいという願望もあるけどそれより何より自分らしく生きれない自分らしさを発信出来ないのは何より嫌だった。多分死ぬ前に後悔するだろうなと。
思春期の時に上手くいかない時に親父からB級ドラマから引っ張ってきたような古臭い根性論や精神論をいっぱい言われた。正直、何も心に刺さる事はなかった。
そんな世間一般に流布してる根性論や精神論は僕には合わない。その時以来誰かの思惑に乗せられて生きるとか誰かの言葉や世間の言葉を鵜呑みにして生きるのはやめようと決めた。
僕は自分の言葉で自分の思いを発信したいなとこれからも思う。親父から聞かされた一般論に心から納得いかなかったせいもあるけど。本当に刺さるのは自分で考えた自分の言葉だけだと思うのだ。