ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

辛いとか頑張れないと弱音を吐く人に頑張れとかまだやれるという檄を飛ばす弊害について

TVのドキュメンタリーとかでもよく目にする事が多くて僕もたびたび目にした事ある場面がある。学校や会社やなんかの組織で追い詰められてもう頑張れないとか辛いと弱音を吐いてる人にたいして父親だったり上司などがまだまだやれるとか努力が足りないとか頑張れとか言って取りあってくれない場面。

 

それならまだマシだが中にはまたまた冗談だろ気のせいだろと茶化している人もいる。ほいでお得意の精神論とか根性論を持ち出して説き伏せて相手を再び奮起させてやっぱりオレが正しかったのだと説き伏せた父親や上司が正しいと美化する感じ。

 

TVの中だけならまだTVのシナリオとして許せるんだけど現実世界でもそれを見た父親とか上司とかがそれを見てこれでいいんだと思い込んで採用してしまう。だがよく考えてみて欲しい。

 

辛いとかもう頑張れないって勇気を出して自分の現状を理解してもらいたくて話したのに取りあってもらえないその辛さを当事者になって考てあげて欲しい。

 

自分は精神論とか根性論とかでそういった局面を乗り越えられたんだからお前も同じように乗り越えろというのはあまりに暴論である。そんなのその当人の辛さや痛みまで自分と同じような状況とは限らない。本気で逃げなきゃ生命に関わるかも知れない。

 

特に男の場合だったら男だったら逃げるなとか耐えろとかよく言われる。男だったらという冠言葉が。やかましいわ。男だったら耐えれるなんて科学的根拠なんてないんじゃ。何を根拠にそんな事を言う。

 

話はズレるかも知れないけどいわゆる引きこもりと呼ばれる人も男の方が多いのだ。思うに圧倒的に男の方がそういった社会からの風当たりが厳しく耐えれなくなり引きこもったりそれならまだしも自分で生命を絶ってしまう最悪のケースもある。

 

辛いと訴えた現状を受け入れてもらえずに逃げるなとか頑張れと檄を飛ばすのは話を聞いてる側としては楽である。面倒くさい事言ってんなコイツ。こんな弱音に付き合ってられないからはっぱかけてなんとかしてしまおうってな感じかも知れない。

 

逃げてるのはそっちの方じゃないかなと思う。辛いと言ってるのに問題を先延ばしにして耐えろとか頑張れと言って有耶無耶にして本人が再起して忘れてくれたら穏便に話が済むから。

 

そんな対応ばかり受けていて何度かは奮起出来るかも知れない。だが、そこで弱音を吐いたら誰も取りあってもらえないし弱音を吐いたら損だと植え付けられてしまった人たちはその後どうなるだろう。

 

どこかでまた躓いて頑張れない苦しいという場面に出くわした際に弱音を吐いても誰も取りあってくれないし損だというのが頭の片隅にあって誰にも相談出来なくなり最悪の場合には自分で生命を絶ってしまうかも知れない。

 

檄を飛ばして頑張れとか根性を出せという人たちはそこまで見越して言ってるのだろうか。挙句には自分で生命を絶ってしまった人に相談しろよとか自分で生命を絶つなんて馬鹿だよとか言ってしまう。

 

弱音を吐きにくい相談しにくい風にしたのを棚に上げてそんな事を言うのはあまりにもお粗末で残忍ではないか。どうか辛いとかもう頑張れないと相談を持ちかけられる側の人たちは弱音を吐きやすい雰囲気を作って逃げ場を確保してあげて欲しい。

 

弱っていて困っている人は極端に視野が狭くなっていて判断力が一時的に落ち込んでいるのだ。普通では考えられない行動に出てしまうしそれが自分で生命を絶つ事にも繋がる。自殺してしまう人の気持ちがわからないと世間では言うかも知れないが一時的に判断力が鈍っていると考えたら辻褄が合うし何ら不思議ではない。

 

たった数週間か何ヶ月か休ませてあげたり逃げたり家でサボってお笑いの動画を観たり映画を観たりしてるうちに回復してまた奮起出来る事だってあると思う。休ませてあげる効果って僕は大きいと経験上思う。僕はそっちの方が薬になると思う。どうだろうか。