ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

創作活動が行き詰まった時に考えるべき事とは

僕もツイッターで創作活動のはしくれみたいなことはやっていて。たまにイラストとか描いてアップしてるんだけど。やっぱり数字とかで悩むのよね。そりゃ囲ってるフォロワーさんが多けりゃ多いほど有利になる側面はあるとは思う

 

僕はフォロワー数はさほどはいない。ツイッター上でもあまりアクティブではない。空いた時間はインプットかアウトプットかどちらかしていてタイムラインも追えてないし駅メモ!もほとんどやってない。暇がないんだわ(それでも僕のツイートやらに反応いつもあざっす)

 

で、今回は創作活動そのものについてである。創作活動ってなんだろな。僕も未だに答えが出ないんだわ。

 

僕のフォロワーさんにも創作活動してる人はよく見受けられる。ある人は音楽活動、ある人はイラスト、ある人は小説や物語作成。どれも素晴らしいと思う。

 

時間の許す限りたまにはチェックしたりしてる。んで、僕にも言える事なんだけど長く続けてるとマンネリというか壁にぶち当たるわけ。それは数字が伸びないとかイマイチ自分を表現出来てないとか完成品に納得行かない時とか。

 

で、1番はやっぱり創作活動を通じて人の心を動かしたいわけ。それが叶わない時が行き詰まった時じゃないかなと僕は思ってる。自分の描いた絵や音楽を見てフォロワーさんの度肝を抜かせたいとか感動のあまり鳥肌を立たせたりしたいと思ってるわけ。

 

って考えたらどんどん洗練させて行きたいしそこそこのものを出したくらいで人の心は動かないのもわかってくる。とりあえずのものを出したところで…あ、頑張ってるね。うんうんわかるよ。くらいの反応に見てる方もなると思うんよ。そんなのは知ってる。

 

その辺で僕も悩んでる時間が多い。質を求めるけど量も欲しい。そもそも質を高められるほどの技量がない。ならば量描くしかないとかいう訳の分からない堂々巡りをしてる。

 

そして、これは創作活動に行き詰まったら是非是非立ち返って欲しいけど自分のコアな部分を出さなきゃ絶対に人の心は動かないって事。

 

自分のコアな部分はやっぱり恥ずかしい。直視できない。そこからちょっとだけズラしてええカッコしたい。本当の自分とは違う自分で誤魔化したい。だけど観てる方は敏感だから気づく人はすぐに気づく。僕からしたらすぐに気づく。あ、ズラしたなと。

 

ホンマの自分はエッチなイラストを描きたいのにええカッコして我慢して普通のイラスト描いたりしてるとかホンマの自分とかけ離れた表現してるのとかはやっぱり数字や反応でバレたりするのよね。

 

で、本心が見えないから読者や視聴者にも伝わらない。本当の意味で刺さらない。さっきも言った通り頑張ってるね、まあわかるよくらいの反応しか得られない。

 

それでも満足できるならそれもいいと思う。ただ創作活動を通じて人の心に揺さぶりをかけたいと思ってるならつき抜けなきゃいけないなとつくづく思う。

 

たとえば本当の自分は陰キャで華やかに生きてる他の人に嫉妬してるとかならその感情をそのまま創作にぶつけなきゃいけない。その感情を爆発させた詩を歌に込めてもう思う存分に出しまくったらいいと思う。それが本当の自分なら見てる人に絶対に刺さる。少なくとも同じような人には絶対に刺さる。

 

あとは体験するしかないなと思ってる。色んな体験や経験をして人として、人かどの人間になろうとする事で創作活動に重みが出てくると思う。社会の中で揉まれまくって気づいてはじめていいものが出来るのではないかと思う。

 

そういう意味で僕はやっぱり突き抜けたいと思っている。本当の自分に近いものを表現者として出したいと思っている。

 

そう考えるとあんだけテレビで意味不明でシュールなコントなどを出していたダウンタウンとかは本当に突き抜けていた。あれが表現者の究極の形だと思う。視聴者が唖然としようが自分らの中にあるモノがそれならば出していいんだと思わされる。アレをテレビ用に抑えて小綺麗なお上品な自分たちらしくないコントを披露していたらあそこまで突き抜けた存在にはなってないんじゃないかなと思う。