ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

まだ結果を出してない事に手を出してみよう

かつて、色んなことに手を出して向いてないからとか飽きて辞めた事が沢山あるのよね。古くはナンパ、競馬、競艇、パチンコ、クレーンゲーム、バンド活動、作詞作曲とか。

 

作詞に関してはめちゃくちゃ才能あると自分で思い込んでいてん。だから才能ないのを認めるのにだいぶかかった。あ、これってメロディーに乗りやすい歌詞じゃないし良い歌詞を書こうと必死になればなるほど良い歌詞から遠のいてるなって。

 

槇原敬之とか作詞の上手い人に憧れが強すぎてあーいう風になりたいなと思ってたけど好きだからってただ続けていれば才能が乗っかってくるとは限らないなと学んだ。

 

でも世の中の人は物事を続けて苦節10何年でようやく花開いたとか好きやんか。うちのオカンとかも昔の演歌歌手的売れ方好きやもん。

 

だけどああいう売れ方より苦労せずに最初からすんなり売れた方が僕は全然幸せだと思う。氷川きよしみたいにいきなり売れてそのままずっとその先も売れる方が良いに越した事ないやん。話がズレてきた。

 

作詞の話だったと思うけどそんなんで10年くらいは続けていたのかな?僕の中にあると信じていた作詞の才能を引き出したくてやめられなかったから長く時間がかかった。僕に作詞の才能がないのに気づいて諦めるのに。

 

というわけで僕はその時その時で色んなものに手を出しているのね。今やってるのはイラストとブログの2本が主軸になってるんだけど。んでイラストもブログもだけどある程度上手くいきだしてるんだわ。だけどこの上手くいきだしてるってのが厄介な訳。

 

仕事とかでもそうだけど続けていればこのラインをキープしたらいいというラインが見つかるのよね。ある意味勝ち筋みたいなんは見つかるし単純な話だけどそれを続けるだけでいいみたいな。

 

ブログとかでも一度成功したらある程度はこのラインをキープしたら集客出来るってのは見えてくるのよね。だけどその成功パターンに固執しているとどんどん自分が古い人間になって行くのがわかる。

 

僕がブログの中でよく批判している古い価値観や常識を持っていてそれを未だに押しつけてくる老害と同じことになっているんよね。メカニズムは同じで彼らもその時代には合っていた価値観とか常識を時代が変わっても通用すると本気で思っていて自分が正義と思い込んでいる。

 

僕は自分にはある程度ブログで集客を取れる能力があるし結果を出せるとは知ってる。だから老害にならないためには成功しだした時点で手放すのが理想なんだけど。そこまでの勇気もないしこれが生きがいになりつつある以上現実的ではないかなと。

 

対策としては僕がまだ若々しく挑戦者で居られるために成功パターンを見つけていないモノに手を出すのがいいのかなと今は考えている。まだ一度も結果を出してない事に手を出してみようと思う。

 

それが何になるかはわからない。昔、手を出そうとしていた風景画のスケッチとかでもいいしあるいは昔やろうとしてた小説書きとかもいいかも知れない。まだ勝ちパターンを見つけていない新しい事に挑戦したいと思う今日このごろなのだ。