ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

僕が強くなる理由は勝つためじゃなくて負けないため

僕らは生まれた時から今までなんとなく親やまわりから強くなる事を強いられてきた。サバイバル的な意味では強くなければ生存競争に負けるとからというのもある。

 

僕だって親からまわりから小さな頃から洗脳のように色んなことを引き合いにああいう風になるなとしつけられた。TVのドキュメントで刑務所に収監された人の映像を親と見てあんな風になったら終わりだぞと言われ同級生とホームレスの大人を見かけてここでは書いてはいけない言葉で揶揄したり。

 

要するに世間様がどう見られるかという事に焦点を当てて例えば根暗、コミュ障、オタク、ホームレス、ニート、受刑者、非モテ生活保護といった世間からのイメージが悪い側に回らずに努力で強くなれと暗に今までたくさん言われてきたのだ。

 

それはその子自身のパーソナルな人格はほぼ無視してである。元々からその子がないようなモノを人工培養で植え付けてなんとか世間様に合わせるようにしたいのである。世に言う毒親とかもその類いである。

 

現にたいていの親が子に望んでいるのはオタクとか根暗とかマニアックな子になるのは望んでいない。スポーツマン、リア充コミュ力オバケ、異性にモテる、金持ち、成功者などになれることを少なくとも望んでいる。

 

僕が先程パーソナルな部分を無視してと指摘したがほとんどの親はそこまで見ていない。自分の息子や娘が努力でそっち側に回れると思っている。

 

僕も全然野球が好きじゃなかったけど親父に野球クラブに入らされそうになったこともある。なんで自分の息子が野球を好きにならないのかちょっと期待外れでガッカリされていたのを覚えてる。残念ながら僕は親の期待には応えることはなかったが。

 

その代わりバレーボールとかはやってたけどね。それでも親父はザ・男みたいな感じの子に育てたかったみたい。たぶん親の理想像みたいのがあったのだと思う。野球やってて男らしくてちょっとヤンチャというか暴れるくらいの元気で明朗なキャラみたいのになって欲しかったんじゃないかなと。

 

それとは裏腹に僕は小学生になっても割と女の子と遊んでいたり漫画描いてたり野球じゃなくてバレーボールに打ち込んでいたり別の育ち方をしていた。

 

そりゃ親父としては自分が思い描いた勝ち組みたいな理想的なモンがあってそれを子どもに実現して欲しかったのはあったと思う。でも僕はそれはなんとなく嫌だったし自分のキャラにない事はしたくなかった。

 

現に中学生あたりから競争が加速していって急に生きづらさを感じた。まわりが自分を鍛えあげて勝つために必死になり始めていた。それこそ親から受刑者を見てあんな風になるなよと言われたことが現実味を帯びてきてあんな風にならないためにまわりが準備をはじめたのだ。

 

それから何年もの間ずーっと競争社会にいて競争を強いられてきた。この年になるまで。幸いに弱者と言われるほど落ちぶれなかったし強者と言われるほどは上昇できなかったがまあ普通のところに落ち着いたかなあと。

 

でも未だにそんな競争の最中にいて思うのがもうこんなモンはキリがないし勝ってもたいして意味がないしさっさと降りたいなとは思う。競争の勝者になっても新たな挑戦者が出たり上には上があったりたいした満足感がなかったりするのだ。

 

僕ももちろん親や先生からしつけられた通りに強く賢くなるために努力(この言葉好きじゃないから置き換わる言葉発明して欲しい)を未だにしてるがそれは誰かに競争で勝つためではない。負けないためである。

 

そもそも勝つより負けない方が遥かに大事だ。負けたら全てが惨めになる。負けにいくならはじめからしない方がマシ。敗戦から立て直すだけでエネルギーが勝つ時よりもたくさん必要になる。

 

僕は軽い筋トレやウォーキングを毎日しているがそれは丈夫な身体作りで仕事に穴をあけたりしたくないためだ。誰かに勝つためとか筋肉自慢のためではない。

 

誰かに勝つための競争原理で戦っていては疲れるし無理が祟るしいい事なんてない。それより自分に負けないために頑張る方がよほど健康的で嫉妬や妬みに頭を掻きむしる事なく生きていけるのではないだろうか。