最近は学力なんかよりもっぱらコミュ力が大事と叫ばれつつあると感じる。確かに口が上手くて要領いい人がおいしいポジションを獲得している光景は僕ですら何度も目撃している。
まあ学力もあるにこしたことはない。いわゆる暗記一辺倒でゴリ押しして他の能力の開発を怠った人よりはコミュ力があるだけで全てとは言わないがかなりの部分をカバーできると言っても過言ではない。
一方で僕らよりかなり上の世代は意外にも口下手な人が多かったりする。正直、僕の母親もめちゃくちゃ言葉で説明するのも下手くそで口下手だ。
それに加えて人の話を聞かないのだ。人の話を聞かないというのは喋っている内容を理解できてないというのではない。こんな事されたら嫌だからやめてくれとか家にこもりきりだと身体が鈍るから歩かないとアカンというこちらからの苦言である。
フンフンと口では言いながら一向に実行に移さないさはやらない。それをここでは人の話を聞かないという意味で使うことにする。僕の親父も同じで人の話を聞かない人だった。
僕の仮説なんだけどこの昭和の戦中派や戦後派の世代の人たちって"話す"や"聞く"って事を重視されなかった世代なんじゃないかなって。
うちの母親も祖母もそうだが思ったことをその場で言わない。話さない。感情を上手く表現できない。だからどこかの場で理不尽な目に遭ってもその場では何も言わずに笑って受け流す。
時代の圧力もあったのかも知れない。あんまり思ったことを口に出したらいけない時代を生きてきたのもあると思う。んでその場は何もなくても後から我慢できなくなって僕や姉貴にグチグチ言うのだ。
僕からしたら不思議で仕方がない。その場で言葉にして言えばいいじゃないかと何度も何度も言ってきた。だけどできないのだ。コミュ力に難があるのだ。
親父にしてもそうで借金があることを隠してたり肝心なことを言わない人だった。まあそれでいておしゃべりがあまり上手くはなかった。僕もあまり人のことを言えないけど。
男は黙ってサッポロビールとか男はあんまりおしゃべりせずに背中で語れみたいな風潮も良くなかったと今にして思う。なんやねんそれ。普段からおしゃべりしなきゃ肝心な時に上手く喋れるわけないやん。普段ボランティアとかしてないと人のためになんかするのに躊躇うのと同じで。
んで僕らの時代になってきてだんだんとコミュ力が重要だよーとどことなく時代の空気がそんな風になってきた。僕も以前はめちゃくちゃ口下手だった。訓練してなんとか話せるようになってきたが。
コツは悩むより慣れろやね。悩んでる暇があるなら1人でも多く色んなタイプの人と話す。聞く。男は黙ってなんてそんな時代はとっくに終わってたしひたすら話すしかなかった。
ベラベラと中身のないことを喋っていたら男を下げると思われるかも知れない。ただ僕はそれで男が下がるならそれはそれでいい。いざという時に自分の気持ちを話したり意見を口にできるようにアイドリングというか練習を普段からしてるだけである。
消防士が有事の際に咄嗟に動けるのは普段の訓練の賜物である。普段から訓練するから動けるのだ。それと同じで普段から自分の気持ちを言葉で表現する訓練をしているのだ。
話が脱線したが昭和世代の特に戦中派や戦後派はコミュ力なくてもなんとかなった世代かも知れないがこれからの時代はますますコミュ力がなければ辛い時代になっていくなと感じる。