創価◯会とか顕◯会とか彼らは熱心に勧誘活動をするが僕が思うに彼らは組織作りが上手い。組織作りがめちゃくちゃハマる人にはハマるシステムになってると考える。
なんかそういう新興宗教を否定したり活動自体を否定するつもりはないがその勧誘活動で不快な思いした経験した人も少なくないだろうから記事にしてみた。
ぶっちゃけた話だがその宗教の教義はどうでもいいといったら言葉は悪いが二の次なのである。教義に多少の穴が空いてようが教祖がちょっと変なこと言ってようが関係ない。
彼らは会の中でも役職を決めて役割を決めて指導者を決めて活動を行う。定期的に会合を開いてその日に向けて成果を発表して士気を上げるのだ。その中で盛り上がるのが誰かを勧誘して成果をあげた報告だ。
とにかく成果をあげた人はめちゃくちゃ讃えられる。同じ住んでるエリアで明確な区割りができているのでそのエリアの同志や先輩から祝福されまくるのだ。やってるうちにこれが病みつきになり誰かを勧誘しようとなる原動力になるわけだ。
彼らは漫画ワンピースのような仁義があってオレらの仲間でいるうちは守ってあげるし優しくするというスタンスである。
彼らは同じエリアに住んでるメンバーが風邪を引いたと聞いたらすぐに飛んで行って見舞いに来るしその教団にいるうちは親切で優しくて暖かく接してくれるのだ。要するに身内には優しいのだ。
そんなことされるうちに次第に会合に参加してたくさんの人に暖かく接してもらえて楽しくなってその宗教にハマる人が出来るという仕組みである。彼らは本気で活動を楽しんでいて悪気はないのだ。
だから教義ははっきり言ってどうでもいいしそのコミュニティに属することでしか得られない栄養がそこにはあるのだみたいな感じでどっぷり人はその宗教にハマってしまう。
ただ何度も言いますがその宗教団体に属して活動してる人にたいしては優しく親切なのである。その恩恵に預かるには誰かを勧誘してその宗教に貢献しなくてはならない。
そのコミュニティで恩恵を受けるには勧誘やらなんやらをしなくちゃいけないのだ。まるで働かないと給料が貰えないのと同じでそのコミュニティで良い思いしたいなら働かないといけない。
そのコミュニティで受ける恩恵と勧誘しなきゃいけないというジレンマを天秤にかけてそれでもそのコミュニティに属したいから色んな人に彼らは勧誘活動するのだ。
彼らの中に社会不適合な人や社会からも見捨てられた人も少なくない。そんな中でも親切に見捨てずに面倒見てくれたその宗教団体に恩を返したいという思いもあるのだろう。
何より会合に定期的に集まって成果を報告しあう中で一体感が生まれて病みつきになる人が続出するのである。特に若い世代も巻き込んで若い世代も熱心にやってる人が多いのも特徴だ。
その組織作りのうまさは目を見張るモノがある。人の帰属意識を上手に活用していて舌を巻いてしまう。人はなんだかんだで何かに属していて安心したり精神的な支柱にするのは当たり前である。
僕も普段はSNSで駅メモ!の界隈の人たちと繋がっているが確かに恩恵は受けてるなと感じる。たぶん界隈の人たちに繋がってなかったらいいねも全然来ないしつぶやきも誰も見ていないだろう。
それが人によっては宗教だったりオンラインサロンだったりカタチはそれぞれということなのだ。今日はこんな感じで。