ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

僕は高齢夫婦は出産はしない方がいいと思う。その理由をいくつか挙げる

昔っからずっと思っていて。中年すぎてから結婚したりして高齢者になってから出産しようとする人がたまにいる。出産は個人の自由だと思うけど僕はあんまりいいとは思えない。

 

日本は晩婚化が進んでいるけどだからって出産まで晩年にするのは大変やと思う。まあ正直なところ47くらいまでがボーダーラインじゃないかなとは思う。するとしたら。

 

ざっくりと考えられる高齢出産のリスクをあげてみる。

 

①中年以降に性欲の低下。無精子症の可能性

 

やっぱり目に見えて中年以降に性欲が低下する。セックスどころじゃない。そもそも勃たない時もしばしば。なかなか妻が妊娠しないなんて事あるとしたら男の方の精子無精子症になってる可能性も?

 

だからって知識がある人じゃなきゃ自分の精子に疑いの目を持たない可能性がある。そんなことが原因でお互いがお前が悪いと罪をなすりつけて喧嘩になるかも知れない。

 

②子どもを溺愛してしまうリスク。子どもが大きくなって反抗しだしたら抑止力を持てない。

 

僕が高齢者の出産にネガティブな感情を抱いている原因はまさにこれ。僕は新潟の少女監禁事件を調べてその全貌を確認した時に僕が若いうちに結婚できないなら中年以降に結婚しても絶対に子どもは作らないでおこうと決めた事件だ。

 

軽くこの事件に触れておく。ソースがWikipediaになってしまうしちょっと信憑性の点で怪しい部分はあるかもだがご了承いただきたい。

 

2000年代の事件に詳しい人なら絶対知ってるこの監禁事件だがこの犯人の親は高齢者だった。父親が60代で母親が30代という年の差だ。それはそれでいいがどうも高齢で生んだ子だから溺愛してしまったらしい。

 

僕の知ってる人も40代後半くらいで子ども作ったが同じように溺愛していた。親バカを通り越してしまうくらい。タチが悪いのが本人たちに自覚がないのだ。

 

んで監禁事件の犯人の話に戻るが溺愛されてまともに育つどころか性格歪みまくっていた。あろうことか自分の高齢の父親をゴミを見るように見てなんであんなジジイが自分の父親なんだとのたまうようになる。

 

それで父親もやっぱり高齢者なんで息子が暴れたら対抗できないリスクがあるんよね。自分の父親がまだ30代でアブラ乗り切っていて鍛えていて息子とも張り合えて反抗していても抑えられる父親ならまた結果は違っていたかも知れない。

 

この少女を長年の間監禁していた史上最悪な犯人に同情の余地はないが強いて言えばひょっとしたらこの高齢の親じゃなきゃもう少し変わっていたのかなとも思う。

 

高齢で出産した親にいけずするつもりは無いが自分の親だけがまだ多感な年頃の10代に70くらいのじいさんだったのは単純に嫌だったのではないか。

 

③自分の子どもを若々しく意欲ある子どもに育てれるが疑問。他の親と比べられる。

 

やっぱりだけど普段接している人の考え方とかセンスみたいなのは伝染するのよね。高齢でも若々しくて意欲的な夫婦で出産して子どもにもその意欲が伝わるならいいと思う。

 

だけどもしかして時代の感覚とかがズレてたりどうもジジくささとかババくささが伝染してしまう可能性もある。子どもの髪型とか服とかまだ子どもが自分の意思で決められないうちは親が決める事になる。

 

その時に時代の感覚についていけてるかというのは大事である。学校やらで持ち物や服装で浮いた感じになって子どもがいじめられる原因にもなる。そんなことまで考えが及んでいるかどうかである。

 

高齢で出産するのはそれはそれで素敵だし自由だけどそのあとのことも考えてあげないと子どもの長い人生を苦しめる可能性があるのも僕は強く言いたい。

それも自分だよと認める勇気を持とうと思う。

自分探しみたいな言葉がいつからか言われるようになってきたがそもそも自分なんて探して見つかるものなのか。

 

まあ数行で論破するつもりはないけどみうらじゅんさんも言ってるように仏教では"無我"という概念があって自分自身には実体なんてないのだ。

 

あるいは実体があるとしたらこのどうしようもなく怠惰だったり淫乱で変態だったりずる賢くて変な妄想ばかりするありのままの自分自身だったりする。

 

このどうしようもない自分自身は対外的には外にいる際にはナリを潜めている。何故なのか。その自分自身をあるがままに解放してしまえば社会の落伍者にならざるを得ないからである。当たり前だ。ありのままに発動してしまえば色んな人を傷つけてしまう。

 

子どもがいつまでも無邪気なままでいられないのはありのままでは社会で生活できないからである。子どもは残酷で平気で面と向かってブスとかバカと言えてしまう。そしてそんなことは思っても隠して生きた方がいいといつからか気づいてしまうのだ。

 

僕らは知らず知らずに仮の仮面を被って生活している。ペルソナと呼ばれるものだ。この言葉はゲームのタイトルにもなっている。余談だがペルソナ4は名作なので是非プレイして欲しい。

 

ゲームのペルソナをプレイしたらわかるけどこのゲームでは若者たちがそれぞれの闇を抱えていて普段はナリを潜めているソレが実体として現れて襲いかかってくるのだ。

 

若者たちはその普段隠している素顔のペルソナがとんでもなくいやらしい姿やオカマみたいな姿で最初はこんなの自分じゃないと認められなくて苦悩するが次第にそれも本当の自分だと向き合うようになる。

 

この認めたくない自分ってのが本当の自分なんだろうなと僕は思う。自分探しはそんな自分は違うとどこか実体のないここではないどこかにホンマの自分がいると思い込んだ足掻きにしか思えない。

 

ジキル博士とハイド氏みたいにあるいはドラゴンボールのピッコロ大魔王と神様みたいに自分の中に潜んだ認めたくない自分を無理矢理分離して違う自分になろうとしても無駄である。

 

どこまで逃げても自分の影が追いかけてくるようにそんな自分も自分なのである。陰と陽があるように物事には必ず光と影がある。

 

出来るだけ対外的にはこのどうしようもない自分を出さないようにするしかないが、そんな自分も認めたいと思う。それも普段はペルソナという仮面で押さえているホンマの自分の姿である。

昭和世代はコミュ力があまり重要視されてなかったのでは?とつくづく思う。

最近は学力なんかよりもっぱらコミュ力が大事と叫ばれつつあると感じる。確かに口が上手くて要領いい人がおいしいポジションを獲得している光景は僕ですら何度も目撃している。

 

まあ学力もあるにこしたことはない。いわゆる暗記一辺倒でゴリ押しして他の能力の開発を怠った人よりはコミュ力があるだけで全てとは言わないがかなりの部分をカバーできると言っても過言ではない。

 

一方で僕らよりかなり上の世代は意外にも口下手な人が多かったりする。正直、僕の母親もめちゃくちゃ言葉で説明するのも下手くそで口下手だ。

 

それに加えて人の話を聞かないのだ。人の話を聞かないというのは喋っている内容を理解できてないというのではない。こんな事されたら嫌だからやめてくれとか家にこもりきりだと身体が鈍るから歩かないとアカンというこちらからの苦言である。

 

フンフンと口では言いながら一向に実行に移さないさはやらない。それをここでは人の話を聞かないという意味で使うことにする。僕の親父も同じで人の話を聞かない人だった。

 

僕の仮説なんだけどこの昭和の戦中派や戦後派の世代の人たちって"話す"や"聞く"って事を重視されなかった世代なんじゃないかなって。

 

うちの母親も祖母もそうだが思ったことをその場で言わない。話さない。感情を上手く表現できない。だからどこかの場で理不尽な目に遭ってもその場では何も言わずに笑って受け流す。

 

時代の圧力もあったのかも知れない。あんまり思ったことを口に出したらいけない時代を生きてきたのもあると思う。んでその場は何もなくても後から我慢できなくなって僕や姉貴にグチグチ言うのだ。

 

からしたら不思議で仕方がない。その場で言葉にして言えばいいじゃないかと何度も何度も言ってきた。だけどできないのだ。コミュ力に難があるのだ。

 

親父にしてもそうで借金があることを隠してたり肝心なことを言わない人だった。まあそれでいておしゃべりがあまり上手くはなかった。僕もあまり人のことを言えないけど。

 

男は黙ってサッポロビールとか男はあんまりおしゃべりせずに背中で語れみたいな風潮も良くなかったと今にして思う。なんやねんそれ。普段からおしゃべりしなきゃ肝心な時に上手く喋れるわけないやん。普段ボランティアとかしてないと人のためになんかするのに躊躇うのと同じで。

 

んで僕らの時代になってきてだんだんとコミュ力が重要だよーとどことなく時代の空気がそんな風になってきた。僕も以前はめちゃくちゃ口下手だった。訓練してなんとか話せるようになってきたが。

 

コツは悩むより慣れろやね。悩んでる暇があるなら1人でも多く色んなタイプの人と話す。聞く。男は黙ってなんてそんな時代はとっくに終わってたしひたすら話すしかなかった。

 

ベラベラと中身のないことを喋っていたら男を下げると思われるかも知れない。ただ僕はそれで男が下がるならそれはそれでいい。いざという時に自分の気持ちを話したり意見を口にできるようにアイドリングというか練習を普段からしてるだけである。

 

消防士が有事の際に咄嗟に動けるのは普段の訓練の賜物である。普段から訓練するから動けるのだ。それと同じで普段から自分の気持ちを言葉で表現する訓練をしているのだ。

 

話が脱線したが昭和世代の特に戦中派や戦後派はコミュ力なくてもなんとかなった世代かも知れないがこれからの時代はますますコミュ力がなければ辛い時代になっていくなと感じる。

今日はXのアンケートで決めた行き先の場所に行ってきた

まずはこれを。

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というわけでXのアンケートで2択を決めてもらい結果の場所に行くことにした。今回は河原町猫カフェとスター食堂に決定。それでは早速行こう。

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まずは腹ごしらえにすき家の牛丼😋少し早い昼飯になった。

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ほいで来ましたよ。猫カフェモカ。過去に何回かお世話になっているがその模様も置いとく。

uosando.hateblo.jp

uosando.hateblo.jp

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ゲームしたそう😅オセロを下敷きに寝てる。

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近くに急接近。

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人慣れしてるねー。

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猫だくさん。実は人もたくさん居た。満員御礼。僕は30分くらいで猫カフェモカを引き上げる事にした。値段は1200円くらいだった。

お次はスター食堂のはずなんだが満員御礼で尚且つ行列が出来てた😩流石に行列に並ぶ気力がない。スター食堂は断念した。ちなみに過去にスター食堂に行った記事も置いとく。この時は楽に行けたのにな。

uosando.hateblo.jp

代替案としてからふね屋に。どちらにせよパフェは食おうと考えてたので良いっちゃ良いんだけど。

 

というわけでアンケートで決めた行き先で楽しんできた。実はウォーキング兼ねて河原町まで歩いた。いつもみたいに街で色々一眼レフカメラで撮ってきたんでオマケで置いとく。

まずは梅小路公園の桜。

お次は丹波口あたり?の桜。

今度は五条あたりでパシャリ。

四条堀川あたりの桜。

なっちゃん推しの自販機。

梅小路公園

ピカキー。

はっちゃんのたこ焼き。ワンピースかな?

なんの店だろ。

丹波口。JR沿線を歩いてきたが中央市場にも位置してるのであちこちにターレやらリフトやらがあった。ターレで作業してる人が見れるので気になる人は歩いてみよう。

鳥山イズムを感じる。

はじけて混ざれー!

逆さまのようだがいいんでしょうか。

京都のライブハウス。20代の頃に一度誘われて行った事がある。立ち見だが前の方に囲いの身内のファンみたいなのが陣取っていてアウェー感を感じた😅

先週と違ってこの陽気。だから気持ち良さそう

立誠ガーデンあたり。

いかにも京都な風景。

ぎょうざ湯?なんとも不思議な湯だ。

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オマケのオマケで明日の大阪杯の馬券買ってきた。当たるといいなあ。

一夫多妻が許されないもしくは成立しない理由について考える

一夫多妻は今後、国が認めるのかという予測をしてみるが今のところ認められる未来は全く見えない。たぶん未来永劫認められることはないであろう。その前に僕は別に一夫多妻を推奨はしてない。

 

だが男に生まれてきて男側が一夫多妻的な社会的なタブーを好み法で規制されないならそちらに流れてしまうであろうことくらいはわかる。

 

僕たち男は元々は遺伝子という自分のコピーを残そうと必死になってやろうとする生き物でありそういうふうに古代から決まっている。

 

橘玲さんの"言ってはいけない"という本にこのあたりは詳しく書いてある。男は精子を放出するのにたいして労力がいらないのである。これはたくさんの異性と交尾するためにノーコストで楽に放出できるようになっている。そのかわりに相手探しに困難になってる仕組みである。

 

かたや女の方はノーコストなわけはなくてかなりの長い期間身ごもったりするわけで簡単に子ども作ろかとならないわけである。それこそ簡単に考えられたら女性から総スカンだ。なのでどうやっても女が男を選り好みする側だ。

 

この一夫多妻理論は動物社会では存在しうる話でだからって人間の世界には持ち込むのは倫理上難しい。だが本質的には男は1人の女性を長く愛するように設計上作られてない。

 

1人の女性とセックスできる限界ってのは悲しいかなあるのだ。男というのは同じ相手といつまでもセックスできる回数は限られてくる。自分を騙して相手のためにセックスすることはできるかも知れないがそれはほぼボランティアに近いと言ってら言い過ぎだろうか。

 

動物の世界でもオスが1匹のメスと交尾したとする。何回か交尾を重ねてくると飽きてきてメスが求めてきてもオスは無反応だったりする。そこに新しいメスが入るとオスは新鮮なので新しいメスと交尾したくなる。

 

具体的には何回も交尾したメスは充分にコストを割いたのでこれ以上はしたくないというオスの拒否反応がレスの原因らしい。そこに新しいメスが来たらまだコストをかけてないからそっちに行こうかいとなる非常に自己中なプログラムである。

 

こんなのを我々人間も地でいくとどうなるか。ぶっちゃけた話、養育しないで済むんなら自分の遺伝子をたくさん残したいのだ。そのために1人の女性でやってたんでは間に合わなくなるのでたくさんの女性と関係を持とうとする。

 

ほいで色んなところに種だけ蒔いて面倒な養育だけは女性に任せてしまいどの女性とも責任取らず知らん顔で居られるならそんな男が次から次へと誕生してしまう。動物の世界ではそれは通用するか知らないがそれでは社会は破綻する。

 

というより女性の人権の意味で絶対的に許されない。男にも平等に背負うモンは背負わせなさいということで今の一夫一妻制は成立してるんだなと思う。

 

もちろんセックス抜きにしてプラトニックな関係でいればそんなに一夫一妻で困ることはないと思う。その方が穏やかで長く仲良く居られるのは間違いないと思う。

 

ところ僕が思うに一夫多妻は許されないと言っても現状は結果的に一夫多妻に収まってしまってる状況がなきにしもあらずだなと。それが強者男性と弱者男性の問題である。

 

そもそも弱者男性と言われる層はそんな性に関するスタートラインに立ててもいなかったりする。本人がそれを望んでいない場合もあるし望んでいてもできないし蚊帳の外だったりする。

 

かたや強者男性と呼ばれる男性は割と強引にこの問題をクリアして次から次へとゲーム感覚で女性と関係を持ってしまう。まあそんな関係なんで長続きしなくて結婚してもすぐ離婚したりする。

 

離婚するならまだしも子ども作ってその親権は女性が持つパターンが多かったりする。ほいで中には養育費支払いから逃げてまた違う相手と子どもを作ってそんなことを繰り返してしまうのだ。

 

結果的には一夫多妻に近いようなことを強者男性と呼ばれる男性がやってしまったりする。弱者男性はそもそもそれに参加してないからほとんどは強者男性がやってしまってるのである。

 

世に言うシングルマザーが増えているしシングルマザーの貧困が問題になっているが強者男性が全てとは思わないがそうやって強者男性が女性を蹂躙してきた結果がこれではないだろうか。いかに女性を幸せにしてあげれてないかがわかるだろうか。

 

そしてその状況は分断を生んでいる。ミソジニーフェミニズムや極端な思想に陥って互いが互いのことを理解できないまんまでいる。

先週の日曜日は軽めに七条周辺をウォーキング

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なんか知らんけど天気悪すぎますわなー最近。先週の週末も雨だった。とはいえウォーキングの習慣は休むわけにはいかんざき。というわけで必ず習慣にしたことはやり切る僕なので傘さしながら京都駅周辺やら七条あたりをウォーキングしてきた。

東寺のお堀にて。サムソーヤ🥶この日は雨だしかなり寒かった。

デカくて長い缶だなあ🥫

焼いた芋を冷やすのか。サウナの整うみたいなもんだな(違)

麺屋一空っていう西大路のラーメン屋だ。

おおー、このホーロー看板どこに売ってるんだい?僕んちには壁にインテリアでホーロー看板つけてるくらい僕はホーロー看板好きだ。

薬屋のポスターに薬屋のひとりごとが。そうきたかー。

手書きでなんとも昭和な佇まい。

あの高級パン屋の元祖が。流石に元祖は生き残っている。なんか何年か前に各地に急増した高級パンはかなりたくさん姿を消したが。

肉ガチャだ。もうこれまでめちゃくちゃ見つけた。どれくらい見つけたか集計一度してみよーかな?

マンゴーラッシーなんてはじめて見たゾ。

まだ生き延びてるビデオインアメリカ。強い。だいぶ姿を消したレンタル屋だが生き延びてる店はそこそこある。

サトコとサトちゃんムーバー。子どもが乗っていた。まだ現役だ。

んでたまたま通りがかりに梅小路でフェスやってた。ゆるキャラのまゆまろが控え室に行くところを見かけたがその姿を撮影すんのはあまりにも気が引けた😅なので撮ってない。

んで全然いい場所が取れなくて微妙な場所からだけど高校生のダンスステージをパシャリ。かなり雨がきつかったけどよくやるねー。いやーそのがむしゃらさはおじさんには眩しい。

大きな声で言えないけど仕事はゲーム感覚でやってます

最近のポスト。

 

というわけでこの通りであります。ブログでは初の報告になるかな。遅くなりスンマソー。報告は終わり。

 

そんな責任ある立場で言うのは憚かるけどタイトルの通り僕は割と仕事はゲーム感覚を取り入れてます。仕事をゲームみたいに考えるな!真面目にやれ!と罵声が飛んできそうだが。

 

そもそも会社で作ってる完成品にたいしてはお金も発生してるし立場上、従業員の何人かを任されてるわけなんで責任もあるし真剣にやらなきゃならないことくらい前提でわかっている。

 

前任の役職者の方はめちゃくちゃ真面目で昔気質の人だったからそのあたりは口酸っぱく言われてきた。うん。ただその精神を下の人たちに押しつけるのは萎縮しそうなのであまり僕からは言えない。

 

その上で安全第一で仕事は真剣でありながらもどこかリラックスして肩の力を抜いていた方が高いパフォーマンスが出来るのも事実だと思う。熱血指導で一日中気を張って仕事させてもいいパフォーマンスが出来るとは思わない。

 

僕は今の会社に入った時から仕事はゲーム感覚で楽しんで取り組むようにしてきた。人より早くこの作業を終えるにはどうしたらいいかとかスタートダッシュを決めるにはどうするかをアレやコレや試してみた。仮説→検証→結果を人よりたくさんやりまくった。

 

たまに仮説が間違っていたりもするが仮説と検証を繰り返して思いもよらない結果が出た時はアドレナリンが出まくってその瞬間だけ(瞬間だけかい)仕事がめちゃくちゃ面白いのよね。

 

んで上司とかにも気づかれて。僕が仮説や検証した結果で人より高いパフォーマンスをしているのがバレて。えっ?もうこの作業終わったの嘘やんwと苦笑いされたりして。まあこのあたりの地味な努力は上司も見てるのよね。

 

要するに作業自体は真剣にやるけどその作業に対するアプローチはゲーム感覚で頭で考えたやり方を色々取り入れてきたって事なのね。わかるかな。遊んでいい部分を見誤ることなくやればいいって感じ。

 

まあほんで自分で色々試して結果もついてきて上司からも一目置かれてなんやかや褒められてくると会社に行くのも楽しくはなってくるのよね。責任感やら自信やら真剣さは後からついてくるんじゃないかな。

 

日本人は真面目すぎるんで全部のことに真面目に考えて行動しすぎじゃないのかな?もっと生活に遊びというかゲームを取り入れてもいいのでは。恋愛だってゲーム感覚でいいと思う。こんなゲームにマジになってどうするのというか名言もあるがこんな人生にマジになってどうするのである。

 

どうせ死ぬまでの暇つぶしの人生なのだ。楽しみを取り入れてもう全ての作業とかにゲームを取り入れてみてはどうだろう。