ゆるゆるサラリーマンのよろずブログ本舗

この前までハードに生きてきたが、ゆるく生きようをモットーに生きてるユルリーマンのブログ。

炎上覚悟? 男と女のホンマの話について

そこまで炎上するとは思わないけど一応念のためにタイトルにつけてみた。男と女の話題についてである。

 

男と女ではやはり認識のズレというのが多少どころかかなりある。今回は代表的な例として男という生き物が(とくに日本の男について)どう考えどう行動しがちでなんでそんなことになるのかできるだけ解説したいと思う。

 

それを知ることで女の人もちょっとは男が何を考えてるのかわかるかも知れないし対処の仕方がわかるかも知れない。ただあくまで個人差があって全ての男がそうとは限らない。と前置きして本題に入る。

 

僕も含めてそうなんだけど日本の男というのは対女性に対峙した時にどうしたらいいか未だにわかってはいないのだ。答えを教えてくれる先生もいないし親も教えてくれない。

 

よく外人の男が紳士で繊細な女性にたいしてデフォで(初期装備として)徹底的に優しくてよくしてくれて人の話をよく聞いてくれて日本の男とは全然違うそのスタンスに驚きを感じたという声を耳にする。

 

それはもう歴史的に完璧ないまでに子どもの頃から男は刷り込まれていてその姿勢の違いは日本と比べたら圧倒的に違う。

 

かたや近代化が遅れて長い間チャンバラやサムライをやり続けていた日本がやっと思い腰をあげて近代化に乗り出したが男尊女卑の長い時代がずっと幅を利かせていた。

 

自分の親父なんかを見ててもわかると思うけどとくに団塊の世代とかそれ以上の男はたいしてすごくないのに亭主関白でカミさんに偉そうにしているのが当たり前だったりしてそんな姿を知らず知らずのうちに僕らは刷り込まれてきた。

 

団塊の世代やそれ以上は皆婚の時代を生きてきてそんなのでも親になれてたし支障をきたすこともなかったから良いかも知らんけど僕らの時代は自由恋愛に打って変わってしまって先にあげた外人的な紳士な振る舞いが有利になる時代に移り変わったのだ。亭主関白は時代遅れだ。

 

とくに外人的な紳士な振る舞いができない日本の男は嫌われやすいという話をよく目にする。ここは日本だしそんなの関係ないと主張しそうな男の人もいそうだけど、この国際化された社会の中で日本の男だけが取り残された状況はやはり危機的だ。

 

今さら紳士的な振る舞いを学ぶ術もなくて上の世代から学んだのは親父やおっさんが女の人に偉そうにしてる姿ばかりである。こうなるとお金を稼いでお金や地位のチカラでなんとか異性を振り向かせるしかしうつ手がないという状況に陥ってしまう。

 

ほいで長い間だけど稼げない男はダメだと刷り込まれてきた。男と女の役割は割と固定化されていて今でこそ色んなスタイルがあるだろうが男は外で稼ぐのが当たり前でずっと勝ち負けの世界を生きてきた。

 

そこで出来上がりがちなのが日本の男が勝ち負けに異様にこだわって女より上に立って女の意見を聞こうとしない男なのである。

 

たとえば女の人で男の人に意見して逆ギレして聞き入れてくれなかった経験はないだろうか。女の人としては男の人に嫌がらせしたり陥れたりする他意はなくて言ったのに伝わらずに怒らせてしまったみたいな。

 

男の心理としては勝負の世界を生きてきたプライドみたいなんでなんかケンカをふっかけらたと思ったりするんよね。向こうは建設的な意見として言ったとしても侵害されたと思っていてつい対抗するために強くでたりするのだ。

 

どっちが悪いかと言えば男がほぼ悪いんだけど未だに女に負けるのは恥とか潜在意識の中で見下してる部分が垣間見えてしまうのだ。これは日本の男が抱えてる病理みたいなものである。だから女の人が意見した時に猛反発してしまうのはこれである。

 

彼氏や旦那さんが話を聞いてくれない。聞いてるフリするけどどこかうわの空で聞き流してそうなのも傾聴するという文化があまりないというのも関係してるかも知れない。

 

とにかく女の人の話を聞くとか意見を取り入れるみたいな行動を男が移せないのはもし行動に移したら自分が折れて負けたみたいな感覚があって勝ち負けに異様にこだわる男としては意地でも動かなかったりするのだ。

 

だからって女の人にそれを理解してくれってのは虫の良い話でそれはまた違うんだが。長い時間をかけて治していかなきゃならない日本の男の持つ病理ではなかろうか。男と女の持つ悲しいすれ違いは他にもあるのでまた機会があればいつか書いてみる。

僕が強くなる理由は勝つためじゃなくて負けないため

僕らは生まれた時から今までなんとなく親やまわりから強くなる事を強いられてきた。サバイバル的な意味では強くなければ生存競争に負けるとからというのもある。

 

僕だって親からまわりから小さな頃から洗脳のように色んなことを引き合いにああいう風になるなとしつけられた。TVのドキュメントで刑務所に収監された人の映像を親と見てあんな風になったら終わりだぞと言われ同級生とホームレスの大人を見かけてここでは書いてはいけない言葉で揶揄したり。

 

要するに世間様がどう見られるかという事に焦点を当てて例えば根暗、コミュ障、オタク、ホームレス、ニート、受刑者、非モテ生活保護といった世間からのイメージが悪い側に回らずに努力で強くなれと暗に今までたくさん言われてきたのだ。

 

それはその子自身のパーソナルな人格はほぼ無視してである。元々からその子がないようなモノを人工培養で植え付けてなんとか世間様に合わせるようにしたいのである。世に言う毒親とかもその類いである。

 

現にたいていの親が子に望んでいるのはオタクとか根暗とかマニアックな子になるのは望んでいない。スポーツマン、リア充コミュ力オバケ、異性にモテる、金持ち、成功者などになれることを少なくとも望んでいる。

 

僕が先程パーソナルな部分を無視してと指摘したがほとんどの親はそこまで見ていない。自分の息子や娘が努力でそっち側に回れると思っている。

 

僕も全然野球が好きじゃなかったけど親父に野球クラブに入らされそうになったこともある。なんで自分の息子が野球を好きにならないのかちょっと期待外れでガッカリされていたのを覚えてる。残念ながら僕は親の期待には応えることはなかったが。

 

その代わりバレーボールとかはやってたけどね。それでも親父はザ・男みたいな感じの子に育てたかったみたい。たぶん親の理想像みたいのがあったのだと思う。野球やってて男らしくてちょっとヤンチャというか暴れるくらいの元気で明朗なキャラみたいのになって欲しかったんじゃないかなと。

 

それとは裏腹に僕は小学生になっても割と女の子と遊んでいたり漫画描いてたり野球じゃなくてバレーボールに打ち込んでいたり別の育ち方をしていた。

 

そりゃ親父としては自分が思い描いた勝ち組みたいな理想的なモンがあってそれを子どもに実現して欲しかったのはあったと思う。でも僕はそれはなんとなく嫌だったし自分のキャラにない事はしたくなかった。

 

現に中学生あたりから競争が加速していって急に生きづらさを感じた。まわりが自分を鍛えあげて勝つために必死になり始めていた。それこそ親から受刑者を見てあんな風になるなよと言われたことが現実味を帯びてきてあんな風にならないためにまわりが準備をはじめたのだ。

 

それから何年もの間ずーっと競争社会にいて競争を強いられてきた。この年になるまで。幸いに弱者と言われるほど落ちぶれなかったし強者と言われるほどは上昇できなかったがまあ普通のところに落ち着いたかなあと。

 

でも未だにそんな競争の最中にいて思うのがもうこんなモンはキリがないし勝ってもたいして意味がないしさっさと降りたいなとは思う。競争の勝者になっても新たな挑戦者が出たり上には上があったりたいした満足感がなかったりするのだ。

 

僕ももちろん親や先生からしつけられた通りに強く賢くなるために努力(この言葉好きじゃないから置き換わる言葉発明して欲しい)を未だにしてるがそれは誰かに競争で勝つためではない。負けないためである。

 

そもそも勝つより負けない方が遥かに大事だ。負けたら全てが惨めになる。負けにいくならはじめからしない方がマシ。敗戦から立て直すだけでエネルギーが勝つ時よりもたくさん必要になる。

 

僕は軽い筋トレやウォーキングを毎日しているがそれは丈夫な身体作りで仕事に穴をあけたりしたくないためだ。誰かに勝つためとか筋肉自慢のためではない。

 

誰かに勝つための競争原理で戦っていては疲れるし無理が祟るしいい事なんてない。それより自分に負けないために頑張る方がよほど健康的で嫉妬や妬みに頭を掻きむしる事なく生きていけるのではないだろうか。

昨日はメモラーさんと地下鉄バスを乗り継ぎ遊びまくる

昨日はメモラーさんと地下鉄バス一日乗車券を使いあちこちに飛び回っていたのだ。それもあって更新が滞っていたが。ようやく落ち着いたんで記事にする。あと昨日は花粉症に悩まされて早めに就寝していた😂泣ける。

 

まずは北山からバスに乗り20分ほど。西加茂橋あたりまでバスに揺られる。途中の神社でほぼ人は降りて乗ってるのは僕らだけだった😅そりゃそうか。長閑なあまり何もない場所だからな。

たどり着いたのはエムケイボウル上賀茂。あのタクシーのエムケイの事業所も近くにある。デカい。2年前も来ていたがその時はちょっとにぎやかしでボウリングもせずに帰った。来た時間も時間だったからねー。2年前の記事も置いとく。

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早速やるぞー。

僕はオワコンと化していた。一緒にきてたメモラーさんが絶好調で最後惜しかった。150越えも見えていたけどなあ。

お次は1000円バイキング。元々は700円の時期もあったらしいが昨今の値上げ事情で上がってしまっていた。

こんな感じに保温してあるから自由に取りにいく。スイーツもある。

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好きな湯豆腐もあったので感激🤩カレーや揚げ物もある。そばめしなんかもあってラインナップが珍しかった。

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甘いものを中心におかわり。60分制らしいがストップウォッチを渡されたりするわけでもなくなんとなくで出ていく😅この辺はユルい。

すごい年季の入ったバス停。

お次は河原町までバス移動して寺町京極のシンセツ。フォトジェニックな空間だ。前にも来てるがその記事も置いとく。

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天井はこんな感じ。

僕はピングレ(ピンクグレープフルーツ)にした。クリームソーダ以外のメニューもあるにはあるけどやはりシンセツ来たからにはクリームソーダかな。

お次はラウンドワンに移動してビリヤードを30分ばかしやる。いつもはソロだけど今日は対戦なので楽しみ😊ちな2回くらいプレイして一対一で引き分け。

さらにバスで移動して京都動物園。

🐅虎。大迫力。

ヤマネコらしい。凛々しい。

亀たちがいた。

蛇だが木に巻きついて寝てる。

ここにも。

泳ぐ亀を接写。

エミュー。めっちゃ鳴いてた。鳴いてるというか吠えてた。

孔雀。

上にもいる。メスらしい。

最後はミスター餃子。かなり移動した。縦横無尽にバスやら地下鉄に乗ったがここが最終地点。

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相変わらずの混雑で少し待ったがここの餃子や唐揚げは絶品。いやあ最高ねひとときだった。

先週は淀に河津桜見に行った

最近家を留守にして飛び回りすぎてブログを書けてない😢元気なのはいいけどなかなか家で作業する系のことが出来てない。今日は動中静ありという感じで家にこもって作業する日にしようかな。

 

というわけで記事がたまりまくって滞っているので順番に消化しよう。先週の話である。淀の河津桜開花宣言という記事を地元発ローカルネット記事から発見。早速行ってきた。

まずは駅前。淀の駅前にもチラっと桜を発見。

桜を接写。

すでにこんなノボリが。京阪淀の沿線をひたすら進む。すでに桜目当ての一般客やらツアー観光客やらが同じ方向にゾロゾロ向かってる。後について行ったらたどり着くだろうしついていくことにした。

一眼レフカメラでパシャリ。ほほう。これは素晴らしい。満開だ。

桜を接写。

別角度から。鉄道が通ったら映えるんだが。

川沿いからパシャリ。これはお気に入り。

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ちなみにこれはスマホで撮ったやつ。↑のは全部一眼レフカメラで撮影。若干桜の濃さが違う?こちらの方が濃く見えるかな?青空が濃い。

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あとはオマケ。焼肉いちばんで昼飯😋満足で満腹。

年上でもいいから筆下ろししてDT捨てた方が良いと思う

今回は恋愛というか性の話題である。DT捨ててますか?聞いてどうするって話だけど僕は相手とか選ばないで筆下ろししてDT捨てたから別に自慢できた代物ではない。

 

DT捨てるなら中学生とか高校生の頃に若気で勢いのまんまにやって捨てるか大学生か社会人はじめたてくらいに同年代を選ばすに(同年代でもいけるなら行ってもいい)年上とかシンママとかで教えてもらいながら捨てるのがスムーズかなと思う。

 

僕は年上に人に教えてもらいながらやった。だってサッパリわからないもの。わからないものはわからないで素直に教えてもらう方がいいです。アダルトビデオの知識なんて役に立たない。耳年増になるだけで実戦には役に立たたない。

 

何故DT捨てたかったのか。僕はそのとき大学生にもなっていたから分別もある程度ついていて欲望のまんまにエッチしたかったわけでない。そう。今ここでエッチしなかったらいつまでしなかった(できなかった)事実が先の人生でずっと付き纏うと感じたのだ。

 

ほいで大人になればなるほどエッチみたいなちょっと恥ずかしい勢いのまんまでやらなきゃいけない事は酒のチカラを借りてしかできなくなる。オマケにDTを捨てる機会は年を重ねれば重ねるほど少なくなってくる。

 

現にDTである事に社会は冷たかったりする。表向きはDTでもいいじゃないと言ってくれそうだがDTであると言おうもんなら男も女も腹の底では笑っているのが事実ではなかろうか。

 

いくら成功者になって稼いでてもDTならやっぱり笑われるやん?あいつ億万長者やのにDTなんだよとバレたら笑うでしょ?やっぱりお金や成功だけではオスとしての風格や威厳は身につかないし限界がある。

 

そんなもんにいつまでも煩わされるのはイヤだった。一生付き纏うんならこの呪いのようなDTをくれてやるみたいな気持ちだった。けして乗り気ではなかったが。女の人は是非この男として生きるこの苦労を知っていてほしい。閑話休題

 

んでDT捨てるなら相手は僕は個人的にはこだわるなと思う。最初は処女で清楚な大和撫子と筆下ろしをするんだとかこだわり持っててもしゃーない。心配しなくてもそんな子はキミを筆下ろしのパートナーには選ばない。

 

処女を落とすのにめちゃくちゃ時間もリソースもかかるし警戒しまくりだからかなりの遠回りをさせられる。さっさと筆下ろししたいんならそんなこだわりは捨てた方が楽だ。

 

イヤかも知れないが経験豊富な年上の女性とかシンママとかは確率的に筆下ろしさせてくれる成功率は高い。ほいで肝が座ってるというかエッチをするのにもはや抵抗なんてない(個人差はあるが)からスムーズである。こっちが知らなくても向こうがなんでも知ってる。

 

そこから先のその人との関係はちょっと悩ましいかも知れないが筆下ろしだけを考えるならサラッと終わらせるのもアリかなと思う。僕のDTをもらってくれた年上の人にはホンマに救われたと思ってる。

 

ただ筆下ろししたあとは毎日猿みたいに暇さえあればエッチのことを考えて早くエッチしたいしやらせろとなってしまう副作用はあるけどそうやってうまくいかない事を知るのも人生だ。

 

これを見てるまだ若い子は是非早くにDTを捨てて今の煩わしさから解放されてくれたまへ。一回でもエッチしたら世界が変わるしトラックの2周目がスタートするのでガンバレ。

深い意味なんて追求するな!楽しめ!鳥山明が残した漫画に託したそんなメッセージ

今までの鳥山明関係の記事。

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改めて偉大な漫画家鳥山明の訃報を聞いて残念だしその大きさを思い知らされた。この時期に取り上げるとPV数稼ぎと思われるのも癪だけどあまり時間を過ぎてもアレだし悩ましいところだが…

 

ただ今までからもたくさんこのブログで鳥山明氏を取り上げてきたしここで記事にしないのは不自然なので取り上げてみました。

 

去年の今頃は僕めちゃくちゃドラゴンボールにハマってまして。というのもドラゴンボール超を今まで観てなかったけどひょんなことから観る機会があってから一気にハマった。

 

その流れでDB芸人とかも観たりした。今は落ち着いていて他の動画に流れていてDB熱は普通になってしまったが。

 

鳥山明氏の漫画から感じるメッセージって1つは意味なんて考えるな!楽しめ!というメッセージである。ドラゴンボールZのオープニング曲の頭空っぽの方が夢つめこめるという歌詞が全てを表している。

 

とんでもなく高い画力に行き当たりばったりの超展開の数々。最初から予定されてた展開なんて微塵も感じないアドリブ感満載のストーリーだけど破綻してなくて最後まで失速せずに終わらせたドラゴンボール

 

キン肉マンにも似たような感覚を持つんだけどやっぱり僕は個人的にはドラゴンボールの方が好きだ。よくまとまっていて段違いに読みやすい。

 

んでよく指摘されるんだけどドラゴンボールって中身ないしペラペラじゃんとネットとかの意見では散見される。僕はそれはその通りだと思う。それこそが鳥山明氏の真骨頂かなと思う。

 

確かにワンピースみたいな練られたメッセージ性高い漫画と比べたら全然ドラゴンボールは中身がない。たぶんそこはあえて狙っていないのかと思う。現にドラゴンボールは割とどのタイミングから入ってもすんなり入っていける気軽に読める感がある。

 

僕は無印ドラゴンボールのピッコロ大魔王編くらいから見だしだしたが割とすんなり入れた。途中から観てもそんなに置いてけぼりにはならなかった。

 

あとは単純なのでシンドイ時でも見れるというのは大きい。シンドイ時に台詞長い漫画とか描き込みまくってる漫画とかはなかなかキツイものがある。

 

ドラゴンボールなんかを見ても鳥山明氏は深い意味なんて追求してない。敵サイドと戦う理由もシンプルだ。ドラゴンボールを巡ってとか孫悟空を倒すようにプログラムされてたとかそんなモンだ。

 

孫悟空を見ても敵には粘着しないしあっさりしてるしすぐに許してしまう。それに修行という苦行シーンをあまり描かないのも特徴だ。苦行には意味ないよと暗に示しているかのようだ。

 

それは精神と時の部屋というチートを用意しておきながらあえて孫悟空にあそこでの修行は良くないと否定させたところにも現れている。それよか普段通りの生活しながら普通に修行して孫悟飯の可能性に賭けるという事をさせた。

 

それは最初の師匠の亀仙人の影響も大きいと思う。亀仙人の修行も厳しかったがいわゆる苦行ではない。休みながら時には楽しみながら修行をしている。現に亀仙人がスケベで世俗的なので苦行の方向性は否定している。

 

その亀仙人天下一武道会でナムに水の事を教えたりナムを助けてナムからこの恩は忘れないと言われたが亀仙人からは忘れてもいいよじゃあねと言わせた。僕ね、これが鳥山明氏の思想の全てを物語っているかなと見ている。

 

恩を忘れてもいいよと言わせてしまう。どこまでも軽い。ライトなノリである。普通なら忘れてもいいよなんて台詞出てこない。それは弟子の孫悟空も全く同じノリである。死んでも自分を生き返らせなくてもいいやバイバイとあっさり言わせてしまう。悲壮感なんてない。

 

ライトに軽く生きて軽く死ぬ。人生を思いっきり楽しんで深く考えるなというメッセージ。そんなメッセージが漫画に出てくるキャラに投影されているのではないか。

 

軽薄エッセイというのが80年代に流行ったが文字通り80年代に生まれたドラゴンボールはケイハクだった。それまでのストイックなスポ根や哲学的な暗い真面目一辺倒の時代からのカウンターカルチャーとして根づいたモンだと僕は思う。

 

ストイック一辺倒なベジータが深く考えてない(語弊がありそうだが孫悟空はクレバーで頭が悪いわけでない)孫悟空に勝てなかったりするのも80年代キャラとそれ以前の時代キャラとの対比みたいで興味深い。

 

マトモに僕はドラゴンボール世代だったからショックは大きいが今まで楽しい作品をありがとうと言いたい。

昨日はブレスピボドゲカフェでオフ会

今年の新年会の記事。

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お待たせしました。というわけで昨日は2回目のブレスピボドゲカフェのオフ会でした。前回の模様は↑にリンクにも貼ってるこれです。それでは昨日の模様をダイジェストで。

13時30分からスタート。今回は4人で集まる。そもそもそこまで広くない店内なんですぐに埋まってしまう。

アルコールを頼んだ。僕はメロンエール。

前回もやったスティックスタック。ジェンガ系の崩しゲーだ。2回目なんで少し学習した感がある。今回は完全に倒れるシーンが2回くらいあった。

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見るからに傾いているよね😅あぶねー。色のエリア内にお箸だかスティックだかを乗せる縛りがあるのが後半あたりから効いてくる。

お次はウミガメのスープ。この問題の出題者に質問してはいといいえの解答だけで答えを当てるゲーム。解答見ていいのは出題者だけ。ちなみにこの不死身の男は僕からの問題にします。是非読者もチャレンジしてみてほしい。

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お次はクイズいいセンいきましょう。クイズでみんなで真ん中と最小と最大値を決めるゲーム。ちなみにこの56人はナンパで指ピストルでバーンやったら100人中何人がやられたリアクションしてくれるかという問題の僕の解答だ。

最後は名前忘れたんだけどカードに書かれたパンを焼く労働ゲーム😂パンとともにサイコロを使ったミッションが書かれていて最後の人がそれを成功させなきゃいけない変わったゲームだ。

 

ルール理解までに時間を要するがミッションが鬼畜だったりするから割とワイワイ言いながら楽しめるかも?

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オマケでラウワンでボウリングしてきた。

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一日中あそんだがいい骨休めになったかな?