今までの鳥山明関係の記事。
改めて偉大な漫画家鳥山明の訃報を聞いて残念だしその大きさを思い知らされた。この時期に取り上げるとPV数稼ぎと思われるのも癪だけどあまり時間を過ぎてもアレだし悩ましいところだが…
ただ今までからもたくさんこのブログで鳥山明氏を取り上げてきたしここで記事にしないのは不自然なので取り上げてみました。
去年の今頃は僕めちゃくちゃドラゴンボールにハマってまして。というのもドラゴンボール超を今まで観てなかったけどひょんなことから観る機会があってから一気にハマった。
その流れでDB芸人とかも観たりした。今は落ち着いていて他の動画に流れていてDB熱は普通になってしまったが。
鳥山明氏の漫画から感じるメッセージって1つは意味なんて考えるな!楽しめ!というメッセージである。ドラゴンボールZのオープニング曲の頭空っぽの方が夢つめこめるという歌詞が全てを表している。
とんでもなく高い画力に行き当たりばったりの超展開の数々。最初から予定されてた展開なんて微塵も感じないアドリブ感満載のストーリーだけど破綻してなくて最後まで失速せずに終わらせたドラゴンボール。
キン肉マンにも似たような感覚を持つんだけどやっぱり僕は個人的にはドラゴンボールの方が好きだ。よくまとまっていて段違いに読みやすい。
んでよく指摘されるんだけどドラゴンボールって中身ないしペラペラじゃんとネットとかの意見では散見される。僕はそれはその通りだと思う。それこそが鳥山明氏の真骨頂かなと思う。
確かにワンピースみたいな練られたメッセージ性高い漫画と比べたら全然ドラゴンボールは中身がない。たぶんそこはあえて狙っていないのかと思う。現にドラゴンボールは割とどのタイミングから入ってもすんなり入っていける気軽に読める感がある。
僕は無印ドラゴンボールのピッコロ大魔王編くらいから見だしだしたが割とすんなり入れた。途中から観てもそんなに置いてけぼりにはならなかった。
あとは単純なのでシンドイ時でも見れるというのは大きい。シンドイ時に台詞長い漫画とか描き込みまくってる漫画とかはなかなかキツイものがある。
ドラゴンボールなんかを見ても鳥山明氏は深い意味なんて追求してない。敵サイドと戦う理由もシンプルだ。ドラゴンボールを巡ってとか孫悟空を倒すようにプログラムされてたとかそんなモンだ。
孫悟空を見ても敵には粘着しないしあっさりしてるしすぐに許してしまう。それに修行という苦行シーンをあまり描かないのも特徴だ。苦行には意味ないよと暗に示しているかのようだ。
それは精神と時の部屋というチートを用意しておきながらあえて孫悟空にあそこでの修行は良くないと否定させたところにも現れている。それよか普段通りの生活しながら普通に修行して孫悟飯の可能性に賭けるという事をさせた。
それは最初の師匠の亀仙人の影響も大きいと思う。亀仙人の修行も厳しかったがいわゆる苦行ではない。休みながら時には楽しみながら修行をしている。現に亀仙人がスケベで世俗的なので苦行の方向性は否定している。
その亀仙人も天下一武道会でナムに水の事を教えたりナムを助けてナムからこの恩は忘れないと言われたが亀仙人からは忘れてもいいよじゃあねと言わせた。僕ね、これが鳥山明氏の思想の全てを物語っているかなと見ている。
恩を忘れてもいいよと言わせてしまう。どこまでも軽い。ライトなノリである。普通なら忘れてもいいよなんて台詞出てこない。それは弟子の孫悟空も全く同じノリである。死んでも自分を生き返らせなくてもいいやバイバイとあっさり言わせてしまう。悲壮感なんてない。
ライトに軽く生きて軽く死ぬ。人生を思いっきり楽しんで深く考えるなというメッセージ。そんなメッセージが漫画に出てくるキャラに投影されているのではないか。
軽薄エッセイというのが80年代に流行ったが文字通り80年代に生まれたドラゴンボールはケイハクだった。それまでのストイックなスポ根や哲学的な暗い真面目一辺倒の時代からのカウンターカルチャーとして根づいたモンだと僕は思う。
ストイック一辺倒なベジータが深く考えてない(語弊がありそうだが孫悟空はクレバーで頭が悪いわけでない)孫悟空に勝てなかったりするのも80年代キャラとそれ以前の時代キャラとの対比みたいで興味深い。
マトモに僕はドラゴンボール世代だったからショックは大きいが今まで楽しい作品をありがとうと言いたい。